※本稿は、榎本博明『裏表がありすぎる人』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
嫌われる恐怖から生まれる「裏表人間」
周囲から「いい人」にみられたいという思いから裏表を使い分ける人物の特徴として、人からどうみられるかを異常に気にするということがある。
だれでも人の目は気になるものだが、人一倍気にする。たとえば、だれかと喋った後、自分の言葉や態度を相手がどう思ったかを過度に気にする。職場でも、後輩の仕事が雑なのを注意した後で、相手を傷つけたのではないか、反発しているのではないかなどと気にして、同僚に「○○さん、気分を害してないかな」「ちょっと言い方がきつかったかな」などと不安を口にする。
同僚から「そんなことないよ」「適切な言い方だったと思うよ」と言われても、不安は収まらず、後輩の様子に神経をとがらせている。何を言うにも、相手がどう思うか、気分を害さないかを過度に気にする。そのため相手が気分を害するかもしれないことは一切言わない。
仕事をしていれば、楽しいことや相手が喜ぶようなことばかり言ってすませられるわけではない。ときには言いにくいことも言わなければならないし、相手が傷ついたり、内心反発したりするかもしれないことも伝えなければならなかったりする。でも、そんなことは口が裂けても言えない。
優しさの裏に隠された無責任
その結果、周囲のだれかにその役を押しつけることになる。あからさまに押しつけるわけではなくても、「私はそんなことは言えない」と言えば、周囲のだれかが言うしかない。そうでないと仕事がスムーズに進まない。結局のところ、傷ついたら可哀想だというように相手を思いやるのではなく、自分が嫌なヤツだと思われたくない、つまり自分の身を守りたい、自分が可愛いだけなのである。
「人から嫌われたくない」「いい人にみられたい」という思いがとても強いため、相手のためであっても、言いにくいことを言うということができない。人を傷つけたくない、人が気分を害するようなことは言いたくないというのは、よいことのように思われがちだ。
もちろん人を傷つけたり、嫌な気分にさせたりするのは、一般的には好ましいことではない。だが、仕事の場では、言いにくいことを言わなければならないときもある。
相手の仕事の仕方の改善や成長のためには、気づきを促す必要があり、そんなときは一時的に気分を害するような指摘もしなければならない。でも、嫌われたくない、いい人にみられたいという思いが強すぎる人には、どうしてもそれができない。そこに落とし穴がある。

