注目されなかったIPO

これほどの躍進を見せるキオクシアだが、株式市場へのデビューは驚くほどひっそりとしたものだった。

キオクシアホールディングスとして2024年12月16日に東京証券取引所で上場を果たしたものの、海外メディアが報道で取りあげることはほとんどなかった。

米ビジネス誌フォーチュンは、1年前にキオクシアが上場した際、市場の反応は冷ややかだったと振り返る。投資家たちは半導体不況で負った傷がまだ癒えておらず、当時多額の負債を抱えていた同社は、GPUブームに沸く市場の熱狂とは無縁の存在だった。

ところがその後、徐々に風向きが変わる。AIを動かすには計算能力だけでなく、大容量の記憶媒体も同じくらい重要だという認識が世界に広がり始めたのだ。

こうしてフラッシュメモリの供給不足が広く認識されるようになり、それまで比較的「地味な部品」であったフラッシュメモリに、重要なAIインフラとして突如スポットライトが当たった。かつて注目すら浴びなかったキオクシアは、AIブームの中心的存在の一つとなっていった。

ブルームバーグが昨年12月30日に報じたところでは、キオクシアの株価は昨年年初来で約540%上昇し、時価総額は約5.7兆円に膨らんだ。モルガン・スタンレーが発表する先進国23カ国の代表的株価指数「MSCIワールド・インデックス」構成銘柄においても、2024年12月の東証上場からわずか1年ほどで年間トップパフォーマーに躍り出ている。

キオクシア製USBフラッシュメモリTransMemoryシリーズ
キオクシア製USBフラッシュメモリTransMemoryシリーズ(写真=Mc681/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

上司に却下されても諦めなかった発明家

フラッシュメモリは、キオクシアの源流である東芝と切っても切れない関係にある。生みの親となったのが、当時東芝で研究に従事していた舛岡ますおか富士雄ふじお博士だ。

米電気工学オンラインメディアのオール・アバウト・サーキッツによると、1980年、東芝で研究員として勤務していた舛岡氏は、4人のエンジニアを集め、半ば秘密裏にプロジェクトを始動させた。狙いは、大量のデータを安価に保存できるメモリチップを開発することだ。

試行錯誤の結果、彼らがたどり着いたのは、メモリセル1つにつきトランジスタ1個で済む構造だった。当時の主流技術ではトランジスタが2個必要だったが、この1個の差がコストに決定的な違いを生む。超高速で消去できることから、「フラッシュ」メモリと名付けた。

さぞ東芝は量産に乗り出し、利益を享受しただろう。研究チームは期待でいっぱいだった。ところが、上層部の返答は冷淡だった。米工学専門誌のIEEEスペクトラムによると、返ってきた反応は、「そのようなアイデアは消去してしまいなさい」。フラッシュの名にかかった実に皮肉な命令であった、と同誌は言う。

それでも舛岡氏は諦めなかった。オール・アバウト・サーキッツによると、1984年、舛岡氏はフラッシュEEPROMの詳細をIEEEの学会で発表。数年後には、東芝が世界初のフラッシュメモリの販売にこぎつけた。