目先の利益で動くとろくなことがない

人は損得勘定で動きます。自分にプラスになることには積極的に取り組むし、マイナスになることは納得できる理由がなければやりたがりません。失敗が忌み嫌われるのも、同じ理由からです。

失敗をして、それがまわりに知られると、ダメな人間のような低評価をされるかもしれないという不安が生じます。そうしたマイナスの影響を避けるには、前向きな人は失敗をしないように頑張るし、後ろ向きな人は失敗しそうなことをなるべくしないか、失敗したときにはそのことをまわりに知られないように隠そうとします。

恥ずかしいと思ったとき、それをなるべくまわりに知られないようにするのはふつうのことです。それはおかしなことではないので、とくに報告する義務がなく、隠すことで心が平穏になるなら、そうすればいいのです。

ところが、それで失敗から得られる大切な知見や教訓まで隠されてしまうことがあるから困りものです。これはじつにもったいないことです。

失敗から得られる知見や教訓は貴重なものなので、社会の共有財産にして活用すべきというのが失敗学の考え方です。失敗の当事者が傷つくようなことはあってはならないので、そうさせないための配慮や仕組みづくりを同時に行うことを前提に提案してきました。

電球とヒント
写真=iStock.com/Yusuke Ide
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「絶対にやらない」と決めていたこと

損得勘定は大事ですが、だいたい目先のことばかりを考えて動くとろくなことがないのが世の常です。多くの失敗も手抜きやインチキが原因で起こっています。

険しい道と楽な道の二つがあれば、だれだってふつうは後者を選びますが、一時的な利益が後に大きな不利益になって返ってくることがわかっていたら変わります。長い目で見たら、愚直にやり続けるほうがいいこともあるのです。

高校生の頃、心に決めて、以来ずっと守ってきたことがあります。「絶対にキセルをしない」というものです。

いまは自動改札が当たり前で、キセル行為はほとんど聞かなくなったのでどんなものか知らない人もいるでしょう。電車に乗るときに最低料金の切符で改札を入り、降りるときにはあらかじめ持っている定期券を使うというのが一般的なやり方でした。遠方の駅から戻るとき、正規の料金を払うと高額になるので、インチキをして大幅に節約するわけです。不正行為なので、バレたときには当然、ペナルティがあります。

私が学生だった頃は、まわりは当たり前のようにキセルをしていました。防止するシステムもなく、手軽にできたので、仲間うちには「やって当たり前」という空気がありました。その中で「自分は絶対にキセルをしない」と決めて実行していたので、おかしな人のように見られてもいました。