※本稿は、ベサニー・アレン著、秋山勝訳『中国はいかにして経済を兵器化してきたか』(草思社)の一部を再編集したものです。
「テロリストが来る」
2014年6月初旬――香港では数千人の市民が天安門事件の25周年を追悼するために集まろうとしていた。25年前、北京の広場で反政府を訴える数百人、おそらく数千人の学生デモ隊が鎮圧の犠牲となって死亡した。
香港の追悼集会は中国国内で公然と行われる唯一の集会だったが、事件から4半世紀が経過しても、支配政党の中国共産党は、この事件を歴史そのものから消し去ろうと倦むことなく活動してきた。
しかし、この日、参加者たちは知らなかったが、ムスリムの危険なテロリストが追悼集会に潜入しようとしていた。少なくともツイッターにはそう書き込まれていた。「聖戦への参加を望むテロリスト」6名が香港南方の省都広州の警察から逃れ、香港に潜入した直後だという。
投稿されていたのは中国語で書かれた香港警務処の報告書で、広くシェアされていた。その報告書には、テロリストは「おそらく黒っぽい身なりで、キャンドル集会に紛れ込もうとするだろう」とある。投稿者はどうやら、集会参加者に警告を与えるつもりらしく、「今夜の集会に参加する者」は気をつけるべきだと中国語で書かれていた。
この投稿直後、追悼集会からのライブツイートだと称する別のユーザーが、「身長178センチ、体重約70キロ、参加者と同じ黒いヘッドバンドをしている男性を目撃した」とツイート、「バッグのなかからギザギザの刃がついたナイフが突き出ている」と書き込んだ。
その年の3月、雲南省昆明市でウイグル人グループがナイフを使ったテロを起こし、31人の市民を殺害、141人が負傷していた。このユーザーは、「これほど恐ろしいことはない」と断言、この投稿は315回リツイートされた。
すべてウソだった
しかし、これらの投稿にはひとつだけ問題があった。実は香港警務処の報告書は本物ではなかったのである。主要メディアも広州のテロリストが逃亡したとは報じていない。さらに警察の報告書を投稿したアカウントは、それをリツイートしていた138のツイッターのアカウントに酷似していた。
ハンドルネームはランダムな数字かアルファベット、あるいは2ワードの英語に数字が続くもので、たとえば「ericashley1231」「drewserenity10」というアカウントはいずれも関連する内容のツイートを投稿していた。
これらのアカウントは使われた形跡がほとんどないうえに、ツイート数は50に満たず、フォロワー数も少ない。しかも、ほとんどが中国語だけで書かれ、2014年3月から6月にかけて最初のツイートを投稿していた。ナイフを持ったテロリストと思われると書かれた投稿にリツイートしていた315のアカウントも、似たようなものだった。
ただこの事例は、中国本土ではアクセスすらできない国外のソーシャルメディアをプラットフォームとして使い、組織的にニセ情報を操作することで、現実世界のイベントの攪乱を試みた初期の例だった。
ネット上のディスインフォメーション戦略を国家によるものと断定するのは容易ではないが、このときの操作は明らかに北京の利益に沿っていた。香港の民主化要求デモ“雨傘運動”はこの年の9月のことだが、それに先立って起きた一件は、北京がいかに香港の民主化運動に神経をとがらせているのかを示唆していた。


