読売のトップ・渡辺氏と朝日新聞の関係
小泉の終戦の日の参拝の半年前、渡辺は周囲を驚愕させる行動を取っていた。ライバルである朝日新聞社の論壇誌に登場し、総理大臣の靖国参拝批判を展開したのである。
渡辺はその記者人生において、朝日新聞の存在を常に意識し、強い対抗心を燃やしてきた。渡辺は社長となった翌年の1992(平成4)年、当の朝日新聞が行ったインタビューで次のように述べている。
「朝日新聞は、一言でいうと嫌いだが、毎日最初に読まざるを得ないですね。(中略)社説はそういう〔コラムのような〕感情的な表現がないからこれは絶対読む。一番先に読んで読売の社説と比較している」
「ぼくは新聞人生の半分以上を朝日への対抗意識で過ごしてきた。いまは対等に戦っているつもりだ。(中略)戦後45、6年のうち20年くらいは質量ともに完全に負けていました。これは歴然たるものだった。当時の読売の質は悪かった。ぼくがいうんだから間違いない。よくするために40何年戦ってきた。朝日に追いつけ、追い越せとね。だから朝日新聞がなかったら、今日の読売新聞はなかったろう(1)」
不倶戴天のライバルだったはずなのに
渡辺は論説委員長・主筆として、1980年代から90年代に、日本の大局的な課題について自ら元日の社説を執筆していた(『独占告白 渡辺恒雄 平成編』第二章参照)。
その中でも「社論の基礎的立場」とされ(2)、日本の果たすべき国際的責任を論じた1984(昭和59)年の元日社説において、西側陣営の一員としての立場を重視した安全保障政策を主張している(3)。そして返す刀で非同盟中立などを主張する「反米親ソの左翼戦略」を批判し、「現実を無視した安全保障政策の選択は幻想的であり無責任」「進歩を偽装した保守的・観念的中立主義に耽溺することは許されない」との持論を展開しているが、これは朝日新聞を念頭に置いたものだとされている。
さらに2000年代に入ってからは、読売新聞のグループ会社となった中央公論新社から、読売新聞と朝日新聞の社説を比較した『読売VS朝日』と題した4冊もの書籍がシリーズで出版されている(4)。渡辺にとって朝日新聞は、一目置く存在でありながらも、大局的な価値観や論調では相容れない不倶戴天のライバル紙だったのだ。
渡辺はその朝日新聞の論壇誌に登壇し、論説部門トップと総理大臣の靖国参拝批判で“共闘”するという周囲を驚かせる挙に出たのである。
渡辺と相対したのは、朝日新聞論説主幹だった若宮啓文だ。政治取材に長く携わり、論説委員や政治部長などを歴任した人物だ。当時は論説主幹として社説の責任者を務め、朝日新聞きっての論客と言われていた。

