2025年10月の自民党総裁選で高市早苗氏が選出され、初の女性総裁が誕生した。1955年の結党以来、総裁の座をめぐり権力争いが繰り広げられてきたが、その潮流を作ったのが1972年の「角福戦争」と言われる。作家・大下英治さんの『自民党総裁選 仁義なき権力闘争』(宝島文庫)より、一部を紹介する――。

バラマキの田中vs理想主義者の福田

6月17日、佐藤栄作総理は自民党両院議員総会で総理大臣を退任する表明をした。いよいよ、田中角栄と福田赳夫との決戦の火蓋が切られたのである。

写真左=田中角榮 内閣総理大臣(第64代)/写真右=福田赳夫 内閣総理大臣(第67代)
写真左=田中角榮 内閣総理大臣(第64代)(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)/写真右=福田赳夫 内閣総理大臣(第67代)(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

佐藤派の福田支持グループは、「周山会」あらため「周山クラブ」を結成した。昭和44年初当選組は44人いたが、そのうち最初から明確な福田支持にまわったのは森喜朗一人だけであった。ほかにも村田敬次郎、松本十郎、山崎平八郎、笠岡喬、國場幸昌、中島源太郎の6人が福田を支持した。

しかし、そのなかには他派との掛け持ちや沖縄の国政参加を見てあとからきたメンバーもあった。田中は1年生議員に手厚く金をばらまいた。

「旅行に行くのに必要だろう」
「親父が死んだんだろう。何かと物入りだから、持ってけ」

田中は、そうやって何かのたびに理由をつけては票集めに動いた。

森は福田を担ぐことに決めていたので、そのような田中陣営の動きに腸が煮えくり返る思いがしていた。森は当時、福田の護衛隊として福田に張りついていた。なにしろラグビーで鍛えただけあり、体がでかい。「福田のボディーガード」と言われて頭にきたこともある。森は、福田の傍でさまざまなことを学んだ。森が予想していた以上に福田が理想主義者であることを見せつけられた。

森喜朗の提案に「馬鹿者!」と激怒

あるとき、車に乗り込むや、森は福田に憤懣をぶちまけた。

「田中陣営は次から次へといろんな手を使って抱き込みをはかっています。福田先生もやられっぱなしじゃなく、少しは金を使われたらどうでしょうか」

すると福田は激怒した。

「馬鹿者! おまえ、1年生議員にしてそんな考えで政治をやっているんなら、先が思いやられるぞ。情けない」

福田のあまりの怒りように、森は驚き、身を引き締めた。