背景に「象徴」という地位の曖昧さ

ここでは憲法論議に加わるつもりは全くない。とはいえ、天皇と皇室について、あらためて確かめておかなくてはならない。言うまでもなく、日本国憲法第1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされている。

乱暴に言えば、それ以上でも以下でもなく、「世界中から尊敬されて」いようがいまいが、「日本国民の総意」には、関係がない。天皇の地位は、日本国民が決めれば良いだけであって、外からどう見られているかは、考慮する必要がない。

にもかかわらず、というか、だからこそ、「世界中から尊敬されて」いるかどうかが気になって仕方がないのではないか。自国民だけで決めるしかないがゆえに、他の人たちがどう考えているかを判断材料にせずにはいられないのではないか。

それは、まずもってこの「象徴」という地位のあいまいさから来るのだろう。「天皇」の地位を「象徴」と定めているのは、いまの日本国憲法しかない。「天皇」が日本にしかいないからであり、加えて、たとえ、似たような存在がいたとしても「象徴」とは呼んでいないからである。

第126代天皇徳仁、即位礼
即位礼正殿の儀(写真=日本国政府内閣府皇位継承式典事務局©/在ロサンゼルス日本国総領事館/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

「元首であるというふうに言っても差し支えない」

憲法論議では、この「象徴」とは何か、が話題になる。たとえば「元首」かどうか、という論点である。大日本帝国憲法(いわゆる明治憲法)では、天皇は「元首」だと明記されていたが、もとより、この「元首」が何を指すのかもあいまいであり、決めにくい。実際、2001年6月6日の参議院憲法調査会で内閣法制局第一部長の阪田雅裕氏は、次のように答弁している。

「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えない」というのが政府の考え方であるということであります

「元首である」わけでもなく、「元首ではない」わけでもない。「言っても差し支えない」というのは、官僚答弁だけではすまない。融通無碍であり、なんでもありかのような印象を持たせるのではないか。

まさにこのあいまいさにこそ、天皇や皇室が「世界中から尊敬されて」いるかどうかが気になる原因がある。はっきりしていないからである。「象徴」だと言われても、具体的に何をあらわしているのか、ピンとこない。さりとて「元首」かどうかもはっきりしない。

そんな宙ぶらりんというか、明記されているのに、その内実をつかみにくい存在だからこそ、国外からの視線をもとに、私たちの評価を決めるほかなくなっているのではないか。