なぜゴッホは日本の浮世絵を愛したのか。多摩美術大学名誉教授の西岡文彦さんは「当時のパリで起きていた空前の浮世絵ブームの影響が大きい。それにはひとりの日本美術商が大きくかかわっている」という――。(第2回)

※本稿は、西岡文彦『わかるゴッホ』(河出文庫)の一部を再編集したものです。

ゴッホ『太陽と種まく人』(1888)。種まく人を、浮世絵で開眼した輝かしい色彩で描く作品
ゴッホ『太陽と種まく人』(1888)。種まく人を、浮世絵で開眼した輝かしい色彩で描く作品(写真=vggallery.com/クレラー・ミュラー美術館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

浮世絵は印象派の先駆け

日本に移住したギリシア生まれの作家で『怪談』の著者として知られる小泉八雲こいずみやくもことラフカディオ・ハーンは、日本の浮世絵はフランスに印象派が登場する以前から印象派であったと書いている。

浮世絵は、影というものを描かないからである。

八雲は「日本の絵師は影に隠れた自然の普遍性を描いてみせる」とも書いている。

ヨーロッパ絵画が、対象の陰影を描写するのに対して、東洋絵画が、対象の形体を描写することを、正確に言い当てているのである。

八雲が日本で執筆した著書『東の国より』にこのことを書いたのが、ゴッホが亡くなって5年後の1895年。その15年前に、フランスの批評家テオドール・デュレも同様の指摘をしている。ヨーロッパの画家達は、風景の陰影ばかりを見ることで、事物の固有色を見ることを忘れているとモネ論に書いて、印象派の光に満ちた画風を擁護ようごしているのである。

デュレは、日本人は自然を「影という喪服もふく」に包まれたものとしては見ないという詩的な表現によって、影を描かない浮世絵の様式を賞賛しているが、そうした詩的な理性の持ち主である彼も、日本の風土に関してはゴッホと同じ誤解をしている。

日本人にそうした視力を与えたのは透明な大気と明るい陽光であるとして、平坦な浮世絵の色面を、光に満ちた風土ならではの表現と誤解してしまっているのである。