パリのオルセー美術館には日本とも縁の深いゴッホの傑作がある。多摩美術大学名誉教授の西岡文彦さんは「ゴッホがいちばんいいと評した『アルルの寝室』だ。この作品は日本人コレクターの手に渡ったが、紆余曲折を経てフランス国内に留まることになった」という――。(第3回)

※本稿は、西岡文彦『わかるゴッホ』(河出文庫)の一部を再編集したものです。

ゴッホ『アルルの寝室』(1889)
ゴッホ『アルルの寝室』(1889)(写真=C2RMF/オルセー美術館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ゴッホが自画自賛した作品

オルセー美術館にある『アルルの寝室』は、日本人が買った作品である。

本来は日本にあるべき作品なのだが、関東大震災のおかげで日本に陸揚げされず、第2次世界大戦の混乱に乗じてフランス政府に没収されてしまっている。

アルルの「耳切り事件」の少し後に襲われた激烈な発作から、自分で望んで収容されたサン・レミの精神病院で描かれた作品である。

「耳切り事件」の1カ月後の手紙でゴッホは、病気の後で自分の作品を見直してみると、寝室の絵がいちばんいいように思えたと書いている。椅子と寝台を置いたアルルの自室を描いた『アルルの寝室』のことで、黄色の追求によって加熱し過ぎた制作の小休止を兼かねて描いたという作品である。浮世絵のような作品だとも書いている。

現在はオルセー美術館にある『アルルの寝室』は、このアルルで描いた作品をサン・レミの精神病院で模写したものである。

ゴッホは手紙で『アルルの寝室』のことを、見る人に安息と眠りをイメージさせるための作品と説明している。凄惨な事件を経験したゴッホ自身、この絵の安息感には癒されるところ大であったのだろう。

西洋絵画を買い漁った憂国の士

この『アルルの寝室』を購入した日本人は、松方幸次郎まつかたこうじろうという人物であった。

明治政府の第4期と第6期の内閣総理大臣をつとめた松方正義まつかたまさよしの3男であり、川崎造船所(現川崎重工業株式会社)の初代社長として日本の造船産業の黄金期を開いた人物である。

パリの画廊をからにしたとまでいわれる美術蒐集家としての活動は、第1次世界大戦に備えて社長室を移したロンドンに始まっている。

美術への関心は、英国で目撃した戦時ポスターの威力を機に生じたものだという。

やがて松方は、日本に西洋絵画の美術館がないことを憂慮ゆうりょ、自力で建設するため、財力にものを言わせて1万点に上る美術品を購入する。モネの代表作『睡蓮』やロダンの『考える人』で知られる東京上野の国立西洋美術館の収蔵品は、この松方の購入した作品群を基盤としたコレクションである。

豪放な買い方により伝説的なコレクターとなった松方が、画廊の壁の端から端までをステッキで指し、「これを全部」と言ったというエピソードは有名である。パリの画商に、松方がゴーギャンを探していると噂が広がると、ロンドン、ベルリンからも作品が集まり、どこの画廊に行ってもゴーギャンが用意されていたという。

コレクションの購入総額は、現在の金額にして450億円に上っている。