朝ドラ「あんぱん」(NHK)は、やなせたかし氏をモデルとする嵩(北村匠海)とその妻のぶ(今田美桜)の夫婦愛を描いてきた。やなせたかし氏の自伝などを調べた田幸和歌子さんは「やなせ氏は65歳で引退し、しっかり者の妻・暢さんに最期を看取ってもらおうと考えていたが、現実にはそうはならなかった」という――。
※本稿は、ドラマ「あんぱん」最終話のネタバレを含みます。
「アンパンマン」テレビアニメ化の経緯は?
NHK連続テレビ小説「あんぱん」第25週「怪傑アンパンマン」では、絵本『あんぱんまん』が出版され、ミュージカル化が始動した。
ミュージカルではアンパンマン役を浜野謙太が演じ、いせたくや(大森元貴)が音楽を担当。観客には、のぶの茶道教室の生徒・中尾星子(古川琴音)もいた。アンパンマンの魅力に早くから惚れ込む星子は、やなせ夫妻の意志を受け継いでいく人物として描かれており、星子のモデルは、やなせの秘書を長年務めた、現在やなせスタジオ代表の越尾正子さんと見られる。
史実では絵本『あんぱんまん』は1973年に出版され、3年後(1976年)にミュージカル「怪傑アンパンマン」が初演、その12年後(1988年)にテレビアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送がスタートする。
やなせの著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)によると、昭和59年(1984年)からアンパンマンのテレビアニメ化の話は進んでおり、NHK、日本テレビ、東京ムービー新社から話があった中、紆余曲折を経て、プロデューサーの武井英彦が粘り強く何度も企画を提出し、88年10月にとうとうテレビ放送が決定したという経緯がある。
妻の暢は痩せてきて、頬にシミができていた
しかし、アニメ化の話が進む一方で、その頃、妻・暢が体調を崩し、乳がんだということが発覚。暢は1週間仕事の片づけをした後、東京女子医大に入院、即日手術を行ったが、手術後、やなせは担当医に呼ばれ、「お気の毒ですが、奥様の生命は長く保ってあと三カ月です」と宣告される。このときすでに癌は全身に転移し、第4期の終わりだった。
『アンパンマンの遺書』にはやなせが自身を責める言葉が綴られている。
「ぼくが悪かった。もう少し早く気がつけばよかった。カミさんがやせてきたなということ、頬にシミができたことは気になっていた。それなのに。なぜ、もっと早く無理にでも病院へ連れていかなかったか、自分を責めてみてもおそい」

