博士の専属ドライバー、ティジャニはアラビア語とフランス語を話す。バッタ博士は秋田弁と英語を話す。だが、二人の意思は通じ合う。なぜか。育った国、言語、雇う立場と雇われる立場……その違いを乗り越える「新言語」が今、アフリカの地で誕生した。

研究所ナンバーワンの腕前

大量のバッタを捕獲し、休息中のティジャニ。(撮影=前野ウルド浩太郎)

「あそこの砂丘を車で越えた初めてのモーリタニア人、俺だぜ」

そう武勇伝を語るのは私の専属ドライバーのティジャニ(通称:音速の貴公子、37歳男性)。サハラ砂漠には砂丘や堅い地面などいろんな地帯があるが、車で砂丘を走行することは避けねばならない。なぜなら、砂にタイヤがはまるとリアル蟻地獄を味わう羽目になるからだ。

しかし、1998年、サバクトビバッタが大量発生していると考えられるエリアを突き止めるためにどうしても砂丘エリアを越えて行かなければならなかったとき、研究所で自称ナンバー1ドライバーのティジャニが運転手に抜擢された。彼はそのミッションを成功させ、バッタ大量発生の現場を突き当てていた。ティジャニは私のフィールド調査に欠かせない相棒なのだ。

日本から来た大切な研究者に万が一のことがあったら大変だということで、私が今、籍を置くここモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所のババ所長がティジャニを推薦してくれた。出会った当初、私とティジャニは共通言語をもっていなかった。ティジャニはフランス語とアラビア語を話すが、あいにく私はどちらも話せなかった。モーリタニアの公用語はアラビア語だが、1960年の独立までフランスの植民地だったので、今でもフランス語が事実上の公用語となっている。

今、私とティジャニは、片言のフランス語を使って会話をしているが、実はこの世で二人にしか理解できない言語になっている。ティジャニとは意思の疎通ができるが、他の人たちとはほとんどできない。近代社会の片隅で、どうやってこんな新言語が誕生してしまったのか。それは、私の怠慢とティジャニの欲望が生み出したためなのだ。