「頭の上、疲れている」

研究所内で知り合いのスタッフが増えてきた。「おー、コータロー元気か」と握手をして挨拶を交わすと、すかさずティジャニが寄ってきて、「アイツは使えないやつだ」「アイツは泥棒するから危ない」と報告してくることがよくあった。自分のことを思ってくれて、そんな裏情報まで流してくれていると感謝していた。ところが、すごく仲良くなった人が挨拶しにきたときまでティジャニが露骨に追い返したことに違和感を覚えた。なぜティジャニは私が他の人と仲良くなるのを嫌がっているのだろうか。嫉妬だろうか。

いずれバッタを大量に飼育し、実験を進めたい。そのために、バッタの飼い方や飼育容器の作り方などを専門でやってくれる人を雇おうと考えた。適任者がいないかティジャニに聞いたところ、みんな真面目に働かず補助は不可能だから自分がやりたいとのこと。一人の人間が複数の業務を行うと、効率は悪くなるし、万が一病気でもした日には、すべての負担が一気に私にのしかかってくる。それは私の望むところではない。

「いや、別の人がいい」
ティジャニ「ここには誰もいない。私しかいない。他の人は忙しい」

ここに来てティジャニがスタッフを自分から遠ざけようとしていた意味がようやくわかった。ティジャニは自分を常に雇ってもらいたいから、ライバルたちから私を引き離し、独り占めしようとしていたのだ。金遣いはともかく、仕事そのものが真面目なのはわかってきたので、追加で1万円払い、ティジャニをなんでも屋さんとして雇うことにした。

たまにお願いした仕事をティジャニが忘れることがあるのだが、そういうときは怒りにまかせて「やれ」と命令するのではなく、私は自分でやってしまう。あとで「お願いしてたんだけどなんでやらなかったの?」と聞くのだが、「忙しいコータローに仕事をさせてしまった」と罪悪感を感じるのと、「マズイ、自分が必要とされなくなる」という焦りで、より一層働く気が生まれるようだ。

ティジャニのほうも、さらに自分の付加価値を高める手を打ってきている。フランス語、いや、あの「新言語」だ。私は研究所の研究者と会話するときは英語を使っており、それ以外はほとんどティジャニとしか会話をしていなかった。その調子で他の人と話そうとしてもまったく通じない。ティジャニでなければ会話が成立しないのだ。「この車、ガソリン、よく食べる」は「この車超燃費が悪い」、「頭の上、疲れている」は「ハゲ」となる。今やティジャニに通訳をお願いして他の人と会話をするようになっている。自分自身でフランス語をきちんと勉強してこなかったため、ティジャニなしでは生活できなくなっている。

現状はたんにティジャニが苦労して外人の私に合わせてくれているだけにすぎない。ティジャニが苦労していることはわかっている。そして私がお人好しかもしれないという自覚は深まっている。人を雇うということの難しさもわかってきた。ただ、それはそれとして、貯金はどんどん減っていくのである。

●次回予告
ここに来てバッタ博士は根本的な問題に気づいた。博士が籍を置く組織は、バッタを倒すための研究所だったということに。研究しようとしたバッタが、同僚たちの手で、ああ次々に駆除されていく。悩める博士の「ひと工夫」は、ヤギの購入。何をどうするつもりだバッタ博士。次回第7回《敵は組織?――現場の人に愛されるには》乞うご期待(8月10日更新予定)。

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