アフリカで大発生するバッタの謎を解明しようと、単身モーリタニアに渡った研究者がいる。なぜ日本を出ていくことを決めたのか。昆虫学者の前野ウルド浩太郎さんは「サハラ砂漠には、日本の実験室では見られなかった新発見で溢れている。彼らの生態を知ることがバッタたちの暴走を止める大きな武器になるのだ」という――。

※本稿は、前野ウルド浩太郎『孤独なバッタが群れるとき』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

農地上に見られるバッタの群れ(2020年10月31日、エチオピア、ソマリア州)

写真=AA/時事通信フォト
農地上に見られるバッタの群れ(2020年10月31日、エチオピア、ソマリア州)
サバクトビバッタの分布図
図表=前野拓郎
塗り潰し:常発生地域。斜線部分:大発生時の侵入地域。緑は、モーリタニア・イスラム共和国の位置。

生粋の秋田県民が「ウルド」と名乗る理由

まず初めに疑問に思われたのが、本稿の内容よりも著者の氏名の間にある「ウルド」だろう。

どこの国の人かと思われただろうが、私は生粋の秋田県民だ。この「ウルド(Ould)」はモーリタニアで最高敬意のミドルネームで「~の子孫」という意味がある。

モーリタニアに渡ってからは毎日のように所長室に遊びに行き、ババ所長と研究の話や文化の話を楽しんでいた。

たとえば、モーリタニアの人たちは右手を使って手づかみでご飯を食べ、大皿を皆でつっつくのが習慣だ。「いいか、コータロー。誰かと一緒にご飯を食べるときのコツを伝授してしんぜよう。とりあえずそいつにいっぱい質問するんだ。そいつが答えているうちにいっきに食べてしまうのだ。もし、そいつに質問されても『知らない』や『わからない』とだけ答えてしまえばよい」や、「モーリタニアの人たちは心が優しいからご飯をわざとこぼすんだ。こうするとアリたちが大喜びするだろう」などと思わず微笑んでしまう小ネタを教えてもらっていた。

両親は反対するかと思ったが…

とある日、いつものように所長と話をしていると「コータローはよく先進国からモーリタニアに来たもんだ」と言われた。

研究所にお越しいただいた在モーリタニア日本大使館東博史大使(右)と、モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所のババ所長(中)、モーリタニアの民族衣装をまとった著者(左)
撮影=内田りな
研究所にお越しいただいた在モーリタニア日本大使館東博史大使(右)と、モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所のババ所長(中)、モーリタニアの民族衣装をまとった著者(左)

「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私がアフリカに来たのはきわめて自然なのです」と伝えるとババ所長はがっつりと両手で握手してきて、「よく言った! オマエはモーリタニアンサムライだ! 今日からオマエは、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい」と名前のモーリタニア化を許された。そんなババ所長の本名は、モハメッド・アブダライ・ウルド・ババ。

毎年、各国回りもちで行われるアフリカ・サバクトビバッタ首脳会談が数日後にモーリタニアで開催されたときに、会が始まる前にチュニジアの長にババ所長が、「こちら、日本からきた研究者のKoutaro Ould Maenoです」と紹介してくれた。

私はまだ自分自身でウルドの扱いに戸惑っており、自分でウルドを名乗ったことがなかったが、所長の中では「ウルド」はすでに確定している感じだった。「ウルド」を名乗るが良いと許しを得たのはいいが、親からもらった名前を勝手に変えるわけにはいかない。両親に相談したら、「お~、名前もモーリタニア風に変えるのはグッドアイデアでしょ!」と快諾されていた。どこまでもノリが良い両親だった。