※本稿は、前野ウルド浩太郎『孤独なバッタが群れるとき』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
生粋の秋田県民が「ウルド」と名乗る理由
まず初めに疑問に思われたのが、本稿の内容よりも著者の氏名の間にある「ウルド」だろう。
どこの国の人かと思われただろうが、私は生粋の秋田県民だ。この「ウルド(Ould)」はモーリタニアで最高敬意のミドルネームで「~の子孫」という意味がある。
モーリタニアに渡ってからは毎日のように所長室に遊びに行き、ババ所長と研究の話や文化の話を楽しんでいた。
たとえば、モーリタニアの人たちは右手を使って手づかみでご飯を食べ、大皿を皆でつっつくのが習慣だ。「いいか、コータロー。誰かと一緒にご飯を食べるときのコツを伝授してしんぜよう。とりあえずそいつにいっぱい質問するんだ。そいつが答えているうちにいっきに食べてしまうのだ。もし、そいつに質問されても『知らない』や『わからない』とだけ答えてしまえばよい」や、「モーリタニアの人たちは心が優しいからご飯をわざとこぼすんだ。こうするとアリたちが大喜びするだろう」などと思わず微笑んでしまう小ネタを教えてもらっていた。
両親は反対するかと思ったが…
とある日、いつものように所長と話をしていると「コータローはよく先進国からモーリタニアに来たもんだ」と言われた。
「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私がアフリカに来たのはきわめて自然なのです」と伝えるとババ所長はがっつりと両手で握手してきて、「よく言った! オマエはモーリタニアンサムライだ! 今日からオマエは、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい」と名前のモーリタニア化を許された。そんなババ所長の本名は、モハメッド・アブダライ・ウルド・ババ。
毎年、各国回りもちで行われるアフリカ・サバクトビバッタ首脳会談が数日後にモーリタニアで開催されたときに、会が始まる前にチュニジアの長にババ所長が、「こちら、日本からきた研究者のKoutaro Ould Maenoです」と紹介してくれた。
私はまだ自分自身でウルドの扱いに戸惑っており、自分でウルドを名乗ったことがなかったが、所長の中では「ウルド」はすでに確定している感じだった。「ウルド」を名乗るが良いと許しを得たのはいいが、親からもらった名前を勝手に変えるわけにはいかない。両親に相談したら、「お~、名前もモーリタニア風に変えるのはグッドアイデアでしょ!」と快諾されていた。どこまでもノリが良い両親だった。