出席者の自己紹介では会場がざわついた
会議はすべてフランス語だった。モーリタニアはフランスの植民地だったので、フランス語が主流となっている。
私もモーリタニアに渡航する直前に隣の研究室のフランス人のリシャー博士に付け焼刃でフランス語を教わっていた。「ケスクセ(これは何ですか?)」はとりあえずマスターしたのだが、質問した人がせっかく説明してくれてもその内容が理解できないことに気づいたのは渡航後だった。
会議が始まると20人近くの出席者が全員自己紹介をすることに。各国の長がテンポよく自己紹介していく。自分も腹をくくり、「日本人のコータロー・ウルド・マエノです。研究者やってます」と、よそゆきのフランス語で自己紹介したら、会場がざわついた。すぐに所長さんが補足説明してくれたら、会場が大笑いしていた。きっとウルドの件についてだろう。
その後、各々のプロフィールを回し書きする一枚の紙が回ってきたので、初めて「Koutaro Ould Maeno」と記入し、隣に座るババ所長に渡すと、それに気づいた瞬間、ハッとこちらに振り向き「コータロー……」と、ボソッとつぶやき、満面の笑みを浮かべてうなずいてきた。私も所長を見つめ、無言でうなずき返した。
「これからもずっとアフリカで」ついに論文名まで…
研究者が名前を途中で変えると論文検索するときに支障をきたすと聞いたことがあった。しかし、これからもずっとアフリカでサバクトビバッタの研究をしていく気満々だったので、とりあえず「形」から自分もアフリカ仕様になるべきだと考え、論文に使う名前を改名することにした。
「この外国人かぶれが!」と怒りを覚える人がいるかもしれないが、その昔、日本でも戦国武将たちはしばしば名前を変えていたではないか。「ウルド」には、これからサムライとして世界で闘っていく日本人としての誇りも込めていた。
現地の研究者たちにフランスのシリル博士、さらに以前アフリカのケニアにある昆虫学に関する国際的な研究機関の国際昆虫生理生態学センター(International Centre of Insect Physiology and Ecology:ICIPE)でサバクトビバッタを研究されていた中村達先生(国際農林水産業研究センター:JIRCAS)に助言を仰ぎ、初のフィールドワークでの結果を論文発表できるか挑戦したところ、最初に投稿した雑誌からは不受理の連絡をもらったが、二つ目の雑誌で無事に受理された(Maeno et al., 2012)。
自分の信じてきたローテクの研究スタイルがサハラ砂漠でも通用したことに手ごたえを感じ、このときばかりは熱い涙が頬をつたった。そして、この世にウルドを名乗る新しい研究者が生まれた瞬間だった。