バッタ博士・前野ウルド浩太郎。愛するサバクトビバッタを求め、アフリカに渡った男。なのに、バッタがいなかった。収入どころか失職の、いや自己存在の危機。しかしバッタ博士は負けない。ここはひとつ、バッタ以外の仕事を自分でつくってみせましょう。そう、研究者らしい方法で。

本場に来たのにバッタが消えた

スパゲティにつられて落とし穴にはまったゴミムシダマシ。なぜバッタ以外の昆虫が登場するのかは次頁で明かされる。(撮影者:前野ウルド浩太郎)

魚がいなくなったら漁師はいったい何をするんだろう? 病気が無くなったら医者は何をするんだろう? 社会で働く誰しもが、仕事が無くなり、その職業の存在価値が疑われる可能性におびやかされているのだが、まさか自分がそんな目に遭うとは夢にも思わなかった。

9月、モーリタニアは本来ならば雨季になり、乾燥した砂漠が潤う。ところが、赴任初年度の2011年、異常気象で雨が降らなかった。建国(1960年)以来の大干ばつに見舞われ、バッタのエサとなる新しい緑が芽吹くことはなく、バッタが忽然と姿を消した。なんということだ。野生のバッタを研究するためにバッタが大発生する本場に来たというのに、50年に一度の大干ばつに赴任したその年にドンピシャで遭遇したのだ。仕事が消えた。

バッタの被害が無いと人々が喜んでいる傍らで、一人絶望に追い込まれている私。ポスドクは研究成果を上げられなければ容赦なく路頭に迷う運命におかれている。緻密な研究計画によって生み出された皮算用がもろくも崩れ去っていく。野生のバッタの状況が予想しづらいこともあり、どんな状況にも対応できるように百近い研究テーマを準備し万全の態勢で臨んだつもりだったが、「バッタがいなくなる」のは想定していなかった。人生を賭けてアフリカに来たのに我ながらなんと気の毒な。「バッタいませんでした」では済まされず、ポスドクとして研究成果を上げねばならぬ。この窮地、いかにして乗り越えようか。

研究者の業績は、論文の質と数とで評価される。これまでの定説をひっくり返したり、誰しもが耳を疑う発見は「質」が高いと見なされる。そこまでではないものの発表する価値がある発見は論文としてまとめる必要がある。論文発表しないと何もしていないと見なされるからだ。すなわち「数」も重要である。投稿した論文が学術誌に掲載されると、投稿者には共通のポイントが付く。総ポイント数が研究者の戦闘能力として判断されることもある。バッタの観察ができないので手持ちのデータで論文を書いてその場をしのぐ方法もあるが、干ばつがいつまで続くか分からない。いずれはデータも枯渇してしまう。自然を相手にする職業柄、似たような窮地に立たされることは今後もあるだろう。小手先の技でその場をしのぐのではなく、仕事の作り方を今のうちに編み出しておかねばならない。