米議会が出資するラジオ・フリー・アジア(RFA)は昨年、北朝鮮がかつて制作した金正恩の母・高英姫(コ・ヨンヒ)を称える宣伝フィルムを秘密裏に回収したと報じた。なぜ今、北朝鮮は“偉大なる母”の映像を封印しようとしているのか。海外メディアはこの動きを、「金正恩体制を根底から揺るがしかねない最大の“国家機密”が動いた証」と見る――。
北朝鮮/駆逐艦を視察する金総書記ら
写真=朝鮮通信/時事通信フォト
2025年8月18日、駆逐艦「崔賢」を視察する金正恩朝鮮労働党総書記(手前左から2人目)ら。同右端はパク・クァンソプ海軍司令官

偽造パスポートで訪れた東京ディズニーランド

北朝鮮が「反日」を国是とし、日本を最大の敵として国民教育にいそしんでいた1990年代初頭。ところが、最高指導者の一家は密かに「敵国」を楽しんでいたようだ。1991年には東京ディズニーランドを訪れ、母子旅行を満喫している。

後に北の指導者となる金正恩は、母・高英姫に連れられ、用意した偽造ブラジルパスポートで日本に入国。母子で千葉の東京ディズニーランドを訪れると、7歳の少年は3Dアトラクションにすっかり夢中になった。

通常の親子連れならば、せいぜい帰りに園内のショップへ足を運び、土産物を買い込むことだろう。だが、指導者一家の発想は違った。米ワシントン・ポスト紙によると当時39歳の高英姫は、息子を虜にしたイスごと動く3Dアトラクションに注目。自国に持ち帰れないかと考えたという。

同紙は、「彼女らはそれをとても気に入ったので、高英姫は側近にその価格について調査するよう命じた。彼女は子供たちのため、北朝鮮に持ち帰りたかったのだ」と伝えている。しかし、価格を聞いた高英姫は息を呑んだ。北朝鮮の最高権力者一家にとってさえ、それは手の届かない値段だったのだ。

彼女らは東京旅行で、ディズニーランドだけでなく、銀座での買い物も楽しんだ。当時から世界的に名の知れた高級ショッピング街であった銀座を練り歩き、美容室では日本人スタッフを呼び止め髪をセットしてくれるよう頼んだ。自国の政権が表向きには「帝国主義的侵略者」の烙印を押している日本だが、そこでの時間をずいぶんと楽しんだようだ。

平壌の豪華な邸宅へと戻り、旅行から何年経った後も、母子は東京での一日を懐かしむように語り合ったという。ワシントン・ポスト紙は「彼らは何年も後になっても、東京ディズニーランドへの旅行と、乗ったあらゆる乗り物について話し、どれが一番楽しかったかを決めようとしていた」と伝えている。

日本人なら比較的気軽に足を運べるディズニーランドも、お忍びで訪れた「敵国」の為政者一家にとっては、一世一代の忘れられない思い出となった。

大阪・鶴橋の少女「高田姫」

東京ディズニーランドに惚れ込むほど日本を愛した母・高英姫。しかし、彼女の日本との深い縁は、北朝鮮では決して公にできない「国家機密」だった。その秘密の源は、大阪・鶴橋での幼少期にある。

高英姫は1952年6月26日、大阪の鶴橋で生まれた。アジアプレスによる北朝鮮専門サイト「リムジンガン」は、彼女が日本名「高田たかだひめ」として大阪の公立小学校に通い、毎週日曜日には教会の聖歌隊で賛美歌を歌っていたと幼少期を振り返る。幼い頃から「歌うことが大好きだった」という。4歳下の妹・英淑(ヨンスク)と共に、高家の姉妹は大阪の下町にすっかり溶け込んでいた。