※本稿は、今野有子『目に見えない価値の伝え方 顧客を感動させる提案の技術』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
なぜアメリカ人のプレゼン能力は高いのか
日本では、小学校の校長先生のスピーチといえば、「長い」「つまらない」「くどい」「結局何を言いたいかわからない」の代名詞です。私自身も子どもの頃、校長先生の話が始まると退屈で仕方がなかった記憶があります。
ところが、娘が通うアメリカの小学校の校長先生、中学校の校長先生、どちらのスピーチも楽しく魅力的で、生徒からも大人気なことに驚きました。学校行事の説明ひとつでも、聴衆を笑わせ、感動させ、ユーモアを交えたストーリーテリングを駆使しながら話し、参加者を引き込む力を持っています。
最初は「たまたま話が上手な先生なのだろう」と思っていましたが、地域のイベントや学校行事に参加するうちに、校長先生に限らず、何らかの役職についている人の多くが優れたプレゼン能力を持つことに気づきました。音楽イベントやボランティア活動のリーダー、行政の担当者まで、彼らは皆、驚くほどわかりやすく、そして面白く話すのです。
では、なぜアメリカ人のプレゼン能力は高いのでしょうか? 伝えることが重視され、効果的な話し方が浸透しているのはなぜでしょうか? その背景には、日本とアメリカの「伝え方に対するアプローチの違い」があると感じます。
単なる伝達ではなく、聴衆を惹きつける“舞台”
日本では、話す内容の「正しさ」や「情報の網羅性」が重視される傾向が強く、話の組み立てや表現の仕方にはあまり重点が置かれません。一方で、アメリカではプレゼンテーションは単なる情報の伝達ではなく、「聴衆を楽しませ、引き込むためのパフォーマンス」として捉えられています。
たとえば、アメリカの校長先生は、聴衆の注意を引くためにユーモアを取り入れ、冗談を交えながら自然に話を進めることが多く、聴衆は退屈することなく、興味を持って話を聞くことができます。
また、アメリカでは「物語を語る」という手法が一般的です。ただの情報提供ではなく、個人的なエピソードや感情に訴えるストーリーを交えることで、聴衆の共感を引き出し、心に残るメッセージを届けるのです。
このような相手の心を動かす説得の技術は、アメリカで生まれたものではなく、古代ギリシャにまで遡ります。
古代ギリシャ、特にアテネでは、市民が直接政治に参加しており、裁判の判決も市民の手に委ねられていました。論理の力だけではなく、いかに魅力的な言葉で大衆の心を動かせるかが、非常に重要視されていたのです。

