肝心なのは、小泉進次郎さんは、大鵬さんが偉大な存在であることを褒め称えたうえで、本当は、国は、社会の片隅でがんばっている無名の方にこそ感謝すべきだという「本論」を述べているということ。
「卵焼きにも国民栄誉賞を」というユーモアあふれるトークに、会場は爆笑し、そして温かい気持ちに包まれた。
このような話こそが、元手のかかった、「自分の言葉を持つ」ということ。一方、世間には、マスメディアで報じられている、あるいはすでに誰かが言ったような言葉を、そのまま受け売りしている人があまりにも多い。
小泉進次郎さんが、未来の首相候補と目されているように、自分の言葉を持つ人は、それなりの評価を受けるし、社会の中でもそれなりの地位を得る。
石原慎太郎さんが、その政治的立場に賛否両論があっても、長らく都知事に選ばれるほどの人気を保っていたのも、結局、石原さんが自分の言葉を持っていらした、ということに尽きると私は考える。
では、自分の言葉を持つにはどうすればよいか。何よりも、自分の感覚に耳を傾け、それを信じることである。今回取り上げた小泉進次郎さんの発言の裏にあったのは、国民栄誉賞というもののあり方や、その報道のされ方に対する「違和感」のようなものだろう。
「違和感」を、独善的に主張するのではなく、小泉さんのようにユーモアと愛を持って表現する。そんなことができる人は、「自分の言葉」を持つという理想に、一歩近づいている。
「自分の言葉」を持つということは、つまりは自分も他人もよく見えているということ。そこから、「独創」も「共創」も広がっていく。