ビールケースを担ぐ

北大阪支店のビール営業として枚方市を担当することになった津田さんは、得意先として、ある大手酒販店を任されることになった。枚方市にはライバル会社の女性ビール営業が2名おり、自信はなくとも人一倍負けん気の強い津田さんは、絶対に負けたくないと思った。

しかし、世の風は冷たかった。

撮影=遠藤素子
「女性だからって使えないことはない」ということを証明していった

当時のサントリーのレギュラー・ビールはモルツ。日本ではまだ珍しかった麦芽100%ビールのモルツは、行く先々で苦戦を強いられた。

「スーパードライなら買うけどモルツはいらんなぁ、という酒販店さんが本当に多くて悔しかったですね。しかも、私が担当することになった大手の酒販店さんは、男性の営業の後を女性の営業が引き継ぐのはお断りだとおっしゃっていたんです。それでも上司は『がんばってこい』と背中を押してくれたんですが、まさに『やってみなはれ』の初体験でしたね」

まず津田さんが取り組んだのは、「女性だからできない」というイメージの払拭だった。上司は最初の3カ月は男性の先輩社員と一緒に外回りに出てOJTを受けるように指示をしたが、津田さんは上司に直談判をして、早々の独り立ちを強行した。得意先では倉庫の中に自ら入って行き、ビールケースの整理や棚卸を手伝った。

「男性の営業は3ケース担いだかもしれませんが、私だって2ケースなら担げますよ。女性だからって使えないことはないでしょう。絶対に逃げませんよということを、行動でアピールしたわけです」

午前中に商談をした酒販店に帰社する前にもう一度立ち寄る

当時は、夜討ち朝駆けも欠かさなかった。

「得意先の信頼を得るには、とにかく接点を増やすことが大切だと思っていたので、午前中に商談に伺ったら、帰社する前に必ずもう一度顔を出してご挨拶をするようにしました」

今では主流の、ソリューション営業などという高度な営業手法は存在しなかった。津田さんはいわゆる「どぶ板営業」を愚直に繰り返すことで、なんとか大手酒販店に食い込もうとした。

「もう、社長のお孫さんの遊び相手までやりましたからね(笑)」

するとある日、大手酒販店の社長の口からこんな言葉が飛び出したのだ。

「そんだけ言うなら、アンタから買ったろか」

ついには、同じ口からこんなつぶやきが漏れるようになった。

「サントリービール頑張って売るわ」

それを聞いて津田さんは、男泣きに、いや女泣きに泣いた。90年代のビール営業は、心意気の世界だったのである。