物資第1陣が被災地に到着
翌15日火曜日、15時過ぎ。予定よりも1時間遅れたが、3台は19時間をかけて仙台市内の目的地に到着する。一報を受けたコントロール・ルームには、拍手が沸いた。筒井や辻本のいるERのオフィスも同様だった。
「救援物資第1陣が、被災地の仙台に到着」のニュースは、社内を駆けめぐる。
山添は「やってくれると信じてました」と話す。
この後、山添は物流の復旧に奔走する。約10人のP&G社員と、複数の倉庫業者20人ほどが参加しての電話会議を開いた。本来はライバル関係にある複数の倉庫業者を巻き込んでの会議は、前例のないことだったが、情報を広く共有できたことで16日には倉庫が稼働し始め、25日までにはほぼ復旧を果たした。グローバルな支援として、ガソリン供給を本社から受けたことも大きかった。
「BCPは優先順位の考え方です。1つ目を処理できれば、次は2つ目と順序が決まっているため、緊急時にブレなくて済みます。前提は、情報が透明であること」と山添。
小林は16年前、生産計画部門の課長級だった。担当は被災した明石工場。小林は言う。「工場の復興状況を定期的に発信し続ける大切さを知りました。情報が途絶えると、物流や営業は困り果てる。当時もBCPはありましたが、もっとラフでした。いまは、上が大きな枠組みを早々に決め、その枠組みのなかで個人が各方面からの情報を鑑みてベストの判断を行えるようになっています。BCPを支えるのは人。自主性をもった強い個人でなければ、どんなに優れたマニュアルがあっても役に立ちません」。
緊急時の素早い対応は、平時から権限委譲が進められ、現場の判断力と行動力が鍛えられていたから実現できたのだ。