コロナ禍でいちばん困ったこととは

目が見えなくなったことで全くもって価値を失ったものもあります。

絵画や写真、サイン色紙です。

造形的なものであれば触れば分かりますが、「色の塗り分け」は、私にとっては意味を為しません。

サイン色紙も同様で、こんな言い方はどうかと思いますが、サイン色紙も、医師免許も、重要書類も、新聞紙も、目が見えない私にとっては、ただの紙です。

「紙」と言えば、困るのが届いた郵便物を読めないこと。

白ヤギさんか黒ヤギさんか、何の知らせが誰から届いているのかさっぱり分かりません。ですから、重要な書類が混ざっていても、誰かに見てもらうまでは内容を知らずに置いておくことになります。それで書類の期日を逃したり、停電や配管工事のお知らせを知れなかったりしたことも一度や二度じゃありません。

もっと切実なことを言えば、コロナ情勢においては体温計の表示が見られないことが大いに困りました。熱っぽいかなと思っても自分が何度なのか分からない。

誰かに助けを求めようにも感染の疑いがある時はソーシャルディスタンスの壁が立ちはだかる。

皮膚が変色していても、血尿や血便が出ていても、目が見えないとなかなか気づくことができないのは、1人暮らしの視覚障がい者の大きな課題ですね。

点字は読めない、白杖は使えない、犬は苦手…

一方で、視覚障がい者の意外な一面と言える部分もあります。

ファッションやメイクなど、見た目に気を遣う人が多いことです。

上下カラフルな洋服に身を包む男性や、メイクを楽しむ女性がいらっしゃいます。

私自身も、「どうせ見えないんだから、適当な服でもいい」とは思いません。むしろ逆、身なりはきっちりしていたいという気持ちが強いのです。

乗務員さんに誘導してもらって飛行機に乗り込むと、着席後に「点字」の本を渡してくださることがあります。私は点字が読めないので、「ありがとうございます」と、お気持ちだけ受け取ってお返しします。

目が見えない人といえば、盲導犬や白い杖を思い浮かべる人も多いでしょう。

ところが私、実は犬が大の苦手でして……。

子どもの頃に友達の家の飼い犬に吠えられたことがあって以来、犬がいると幽霊と出会った時のように怖がってしまう。盲導犬が安全なのは重々承知しておりますが、三つ子の魂百まで、私は連れて歩くことができません。

また白杖も、折りたたみ式のものをいつも鞄の中に持ち歩いているけれど、ちゃんとした訓練を受けたことはなく、取り出す用途は専ら周囲に事情を分かってもらうためだけです。