「いかにもな視覚障害者」を演じることも…
もしかしたら、みなさんが想像している視覚障がい者とは少しイメージが違っていたのではないでしょうか。
視覚障がい者だから、点字の本を読むはずだ!
視覚障がい者だから、盲導犬を連れているはずだ!
視覚障がい者だから、白杖を使いこなしているはずだ!
そう思われることが多いですが、とんでもない。確かにそういう人もいますが、そうではない視覚障がい者もたくさんいるのです。
「認知バイアス」をご存じでしょうか。
これは、これまでの経験や直感に基づく先入観によって、非合理な判断をしてしまう心理傾向のことで、とても簡単に言うと「思い込み」です。多かれ少なかれ誰の心にも潜んでいます。
「視覚障がい者」というのも、実にこの認知バイアスを持たれやすい存在です。というのも、みんながみんな身近に視覚障がい者がいるわけではありません。
ですから、街中で見かけたことがあるとか、ドキュメンタリー番組に出ていたとか、漫画の中にそういうキャラクターがいたとか、記憶に残っている「一部」の視覚障がい者の印象が、そのまま「一般的」な視覚障がい者の印象として、その人の中に残ってしまうわけです。
だから実際は必要ない場面でも、視覚障がい者らしくするために、あえてサングラスをかけて白杖を持って登場する、なんてことも私はたまにしています。らしくするも何も、目が見えないのは本当なのに、なんだかヘンテコな話です。
なぜ「障がい者は心が綺麗」と思うのだろう
「障がいがある人は心が綺麗だ」という思い込みが強い人もいます。もしかしたら、障がいを乗り越えて懸命に生きる人の物語を見るなどして、そういった印象を持ったのかもしれません。
確かにそういう人もいますが、みんながそんなわけありません。視覚障がい者も人間です。イライラすることはあるし、性格が良い人もいれば、悪い人もいます。心が綺麗な人も、心がやさぐれている人もいます。それが当たり前です。
他にも、「見えなくなった分、別の能力が秀でているはずだ」という印象も多いかもしれませんね。そう思ってもらえるのは視覚障がい者にとって有り難くもあり、プレッシャーでもあります。
目が不自由なFBI捜査官の活躍を描いたテレビドラマが放映された際も、「視覚障がい者のバリアバリューを描いてくれて嬉しい」という声もたくさん聞いた一方、「こんなに超人だと思われたら困る」という当事者の声も少なからずありました。
例えば、「人間は1つの感覚が失われると、他の感覚が冴える」という定説があります。確かにこれは嘘ではありません。私自身も、音や匂い、空気の流れや踏みしめた地面に対して、目が見えていた頃よりも繊細に感じている実感があります。