その常識は、実は単なるローカルルールなんだ

ただ、こういう厄介なヤツらも意味なく生じてはきません。道徳の原理が「いつでもどこでも誰でも」ベースなのに対して、やや具体的な法律は国とか社会・共同体によって違ってくる。そして、マナー・常識はもっと具体的なので、従うべきかどうかを決定するのはその場、文脈です。「郷に入れば郷に従え」って言うけど、これは「その場に入ったらその場のルールに従え」ってこと。逆に、「郷に入らないなら、郷に従う必要なし」とも言える。

そこで心得その2、自分はその場に入りたいと思っているのかどうかを確認すること。これらはローカルなルールなのだから、ムリに合わせる必要もないのです。単純な話、その場(郷)に入らないという選択肢もアリなわけです。

では、そこに入りたい、入る必要がある場合は? もちろんそれなら従っておくのが無難です。もっとも、「郷に従う」にしても、厄介なことに、文脈を共有しないよそ者にはその郷にどんなルールがあるのかさえわからない。だから「従おう」と思ってもできない。

そこで心得その3、ルールやマナーらしきものを見定め、確認すること。例えば「ペットボトルの水は冷やして出しちゃいかん」という謎ルールも、その理由を考えると、「結露でテーブルが濡れるから」とは言えるけど、夏の暑いときなら冷たい水のほうがありがたい。そう、決めるのはその場、文脈なのです。だから「冷やして出しちゃいかん」は常に正しいわけではない。ただ、その場、文脈を考えれば(「書類をたくさん使う会議だと結露は困る」とか、「夏の暑いときには冷たい水がいい」とか)、従うほうがいいのかそうでないのか決められる。

もし自分で判断がつかなければ、わかっている人に聞いてもいい。「おまえは常識がない!」と言われたって、その常識は実は単なるローカルルールなんだから「自分には常識がない!」と思う必要はありません。だけど、自分がぜひその集団に入りたいと思っているのなら、聞いてみて、いったんはそのルールに乗ってみることもアリ。ただし、常にそこから離脱可能だ(ここのローカルなルールに従わなくても人間までやめることにはならない!)ということを確認しておくことです。