アメリカ人審判に「ノー」と言った重み

「当時のアメリカは、ホームチームの試合はテレビ中継しないんですけど、ビジター戦だけは中継するんです。というのも、“ホームの試合は球場に足を運んでください”という考えがあるから。だから、この日の試合は地元のサンフランシスコでは中継されていました。

そして、遠征から戻ってきて、ダウンタウンの日本食レストランに行ったんです。すると、向こうから日系人のおじいさんがやってきて、泣きながら握手を求められました」

長谷川晶一『海を渡る サムライたちの球跡』(扶桑社)

まったく状況がつかめなかった。けれども、老人の言葉ですべてを理解した。彼は村上にこんなことを告げた。

「私たちは戦争によって財産を没収されて、戦争中には施設に隔離収容されました。アメリカ人には絶対に“ノー”とは言えませんでした。彼らが“黒だ”と言えば、たとえ白でも、“黒だ”と言わなければならなかった。

だけど、マッシーは国技であるベースボールの世界で、アメリカ人の審判に対して、ハッキリと“ノー”と言ってくれた。この20年間の私たちの胸のつかえがようやく取れました……」

アメリカで闘っていたのは村上だけではなかった。

戦前からアメリカで暮らし、戦中戦後の激動の時代を過ごしてきた現地日系人もまた必死に闘っていた。村上の活躍は、決して自分のためだけでも、日本で待つ家族やホークス関係者のためだけでもなく、故郷を離れ、異国で暮らす多くの人々の光となっていた。

誰もが村上の左腕に自身の希望を、未来を託していたのだ。

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