ダルビッシュと大谷はなぜデータを重視するのか
名古屋、バンテリンドームの初日、ブルペンに星川が待機していると、侍ジャパンと中日との試合の5回が終わったくらいに大谷翔平が入ってきた。
星川は大谷に「普段からポータブルの『トラックマン』を使っていると思うけど、どの項目を見ているんですか?」と聞いた。
実は星川は宮崎でも同じ質問をダルビッシュ有にしていた。驚くべきことに二人は「どの項目というよりも全般的に見て、自分の感覚と(『トラックマン』のデータが)合っているかどうかを確認している」と全く同じことを言った。
「あの二人が全く同じことを言っている。そこにはなにか深い意味があるんじゃないか?」
星川はホテルに帰ってじっくり考えてみて、二つのことに思い当たった。
一つは両投手ともに「仮説」を持っていること。データを計測した投手の多くは「僕の球どうでしたか?」「もっとよくするには、どうすればいいですか?」と聞くが、ダルビッシュと大谷は違った。先に仮説があるのだ。
「仮説」とはもともと“投げたい球”のことだ。自分にとって投げないといけない球、“必要な球”がわかっていて、実際に投げた球が、自分が思っている通りの球になっているかどうかをデータで確認している。だから1球1球、確認する必要が出てくる。
おそらく彼らであっても当然コンディションが日々違っていて、そんな中でも“投げるべき球”がある。それをデータで確認し、その差異をチェックしているのではないか?
日本の投手とMLBの投手の決定的な差異
そしてもう一つは、二人の投手は“自分の感覚だけを信用しているわけではない”ということだ。つまりファクトに基づいて自分のパフォーマンスを確認することを習慣にしている。だからこそ二人とも、1球1球タブレットを見て確認していたのだ。
ファクトに基づいて確認する習慣は、文化の違いも含めてMLB的なのではないか。これこそが、まだまだ「感覚だけで投げる」ことが多い日本の投手とMLBの投手の決定的な差異かもしれない。
この二つは当たり前のことかもしれないが、「仮説」を立てることができなかったり、できても確認が十分にできない、ファクトチェックがしっかりできていない選手は多いのではないか。
しかし星川はこうも思う。仮説を立てて確認はしながらも、データに操られてはならない。データはあくまでやりたいことができているかどうかの確認で、その検証にデータを使う。そこに全ての正解があるわけではない。ここもポイントだ。