「村上」は発音しにくく、愛称は「マッシー」に
周囲が心配していたホームシックに陥ることもなく、食事を含めた環境面での不安も杞憂に終わった。
きっかけは、高校時代に毎週楽しみにしていた『ローハイド』だった。そして今、自分はアメリカにいる。西部劇ではなく、現代のアメリカを生きている。
学生時代から憧れていたアメリカでの生活は、自分でも驚くほど順調に進んでいた。何もかもが刺激的な毎日だった。
この頃から、現地の人々の間で「マッシー」という名前が定着していく。
アメリカ人にとって、「日本人の名前は発音しにくい」という。後に鈴木誠が「マック鈴木」となったように、村上雅則はアメリカでは「マサノリ・ムラカミ」ではなく、「マッシー村上」で通っている。
「何度も“オレの名前はムラカミだ”と言っても、アメリカ人にとって《ムラカミ》と発音することは難しいみたいで、《ミューラカミー》となってしまう。あるときは《マカロニ》なんて発音するヤツもいましたよ。いくら何でも《マカロニ》ではご先祖さまに申し訳がたたない(笑)。
《マサノリ》も似たようなもので、いくら繰り返しても《マンサノーリ》になってしまう。“だったら《マサ》でいいや”と思っても、その《マサ》もうまく発音できない。近くにいるときは《マシ》で、遠くから呼ぶときは《マッシー》となりました。」
黄色人種への偏見がまだ残っていた時代
こうしたやり取りを何度も経て村上は悟った。
(あっ、《マッシー》なら、何とか発音できるみたいだぞ……)
この瞬間、現在でも通じる「マッシー村上」が誕生した。
積極的で、社交的で、何事にも臆することなくアメリカ社会に飛び込んでいく村上の姿勢はすでに現地の人々からも受け入れられていた。さらに、新たに「マッシー」の愛称も生まれた。あとはグラウンドで活躍するだけだった。
しかし、何もかもが順風満帆だったわけではない。
戦後も20年が経過しようとしていた。新しい時代の到来を満喫する一方で、旧態依然たる価値観もまた根強く残っていた。黒人差別と同様、黄色人種への偏見もあった。
「あれはジャパンデー後の試合でのことでした。練習のときから、あるチームメイトが私に向かって、“きついジョーク”を繰り返しました。初めは無視していたけれど、あまりにもしつこく、何度も何度も耳元で嫌味を言い続けていました……」