「ただ偉いだけの人」は孤独になっていく

【和田】稲田龍吉という旧東京帝国大学の教授が、そういう施設を作るならば、高齢者向けの医学・医療を日本にも確立しようと附属の診療所を設置しました。

当時の日本人の平均寿命は44歳くらいとされていますし、長生きできる人もそんなに多くはありませんでした。にもかかわらず、世界的に見ても老年医学がほとんどなかった時代に、あえてそうした施設を作ろうとした、稲田先生という人物の慧眼けいがんには、本当に驚きます。

その浴風会病院に、私も足掛け9年ほどいたのですが、お年寄りについて、さまざまなことを学ばせてもらいました。

わりと社会的に地位があった人が入院してくるのですが、そういう偉い人でも部下にまったく慕われていない人もいれば、反対にとても慕われている人もいる。認知症でうまくコミュニケーションがとれなくても、見舞客が途絶えない人もいますし、私でも名前を聞いたことがあるようなかつて傑物だった人なのに、誰も会いに来ない、本当に孤独な人もいました。

若い頃に上にばかり媚びて、下を大事にしてこなかった人は、人生の最期を気の毒なかたちで送ることになる。反対に下の人を可愛がってきた人というのはさまざまな人に慕われたまま人生の最期を迎える。そういう有様を見たときに、今の出世よりも、年を取ってからのことを考えて生きなければと思いましたね。

肩書が通用するのは65歳まで

【中尾】それもある程度の年齢にならないとわからないことですね。

【和田】運が良かったのは、私はその病院に28歳から勤めたので、かなり早くからそういう悟りのようなものを人よりも早く感じ取ることができた。東大医学部のようなところは、みんな、偉い医者になろうとして教授とか肩書きを欲しがる人間が多かった。肩書きなんかにこだわりだすと、せこい競争が生まれるんですよね。たとえ教授になっても、それが通用するのはせいぜい65歳までだなと浴風会病院にいたときに思えたから、それは私の人生にとっては大きな転機になりましたし、今でもよかったと思います。

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【中尾】普通はある程度の年齢になって、人生経験のなかで、つまずきがあったりしないとなかなか気がつけないですよね。

【和田】逆に順風満帆な人生で、65歳まで出世し続けて、社長になったり大臣になったりするような人のほうが、そういう人間関係のあり方をわからないかもしれない。でも、中尾さんはキャリア的にはあまりつまずいたことがないんじゃないですか。

【中尾】思い返してみると、若い頃から年上の人とよく話をしていたから、私の周囲には、気づかせてくれる人がいたのかもしれません。