フードデリバリーで生活を支え、ついに転職を成功させる

退職後休むこともなく、翌日から、山里さんは意欲的に転職活動に取り組んだ。転職エージェントだけに頼るのではなく、会社員生活で築いた仕事関係者をはじめ、学生時代の友人、退職前から転職準備として定期的に顔を出していた同業種、異業種双方の交流会のメンバーなど、幅広い人的ネットワークを駆使して転職に臨んだのだ。

当初は、退職後早期に転職先が見つかると踏んでいた。海外赴任の経験もあって英語も堪能なことから、国内だけでなく、海外の企業へも履歴・職務経歴を記載したレジュメを送り続けた。その過程で目指していた「ハイクラス転職」から処遇、条件も下げていったものの、思うように良い結果は得られなかった。

大学に通う一人娘の教育費は何とかやりくりできたが、妻が新たに始めたパートでの収入しかなく、預貯金を取り崩しての生活を余儀なくされる。前職を辞してから3カ月ほど過ぎた頃から、山里さんはフードデリバリーの配送員のアルバイトを始める。

「前の会社の人間に見つかったら笑われるでしょうが、経済面だけでなく、体を動かしていたほうが気持ちが楽なんです。それと……今になって言うのも何なんですが……妻にとても感謝しています。50過ぎて本来なら趣味でも楽しみたいところなのに……妻は結婚してから初めて働きに出て、レジュメをつくるのを手伝ってくれて、僕の転職を応援してくれているんです。そんないろんな思いがバイクで配送しながら巡ってきて、もっと頑張らなくては、きっと大丈夫、と元気が出てくるというか……」

自身の努力と、苦境を跳ねのける強い精神力、そして妻の応援もあって、前職辞職から約8カ月後の22年、55歳で日本の製薬会社の米国現地法人副社長への就任が叶ったのだ。

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「チャレンジ精神」がすべての土台にあった

そうして、23年秋の冒頭のオンラインインタビューへとつながる。

「くどいですが、うっ、ふふ……本当にラッキーだったと思っています。業界の需要をつぶさに察知して、これまで築いてきた人脈を生かして同年代の転職経験者からアドバイスをもらい……チャンスを手にするには、スキル磨きをはじめ、さまざまな努力が必要だったなと改めて実感しています。そして、その土台にあるのが、さっきも自慢したチャレンジ精神、それに尽きますね」

話し終えて、なおいっそう相好そうこうを崩した。