恐ろしいまでの騒音のなかでの出産
実際、道長は呪詛のほかに物の怪を大いに恐れていたのである。すでに皇后定子が産んだ第一皇子の敦康親王がいるのに、彰子も一条天皇の皇子を産むとなれば、定子やその父の道隆の物の怪が現れても不思議ではない。
そこで道長は徹底した物の怪対策を実施した。専門の僧と、彰子に憑いている物の怪を引きはがして移す「よりまし」と呼ばれる霊媒で物の怪に対処するのだが、通常は1組で済ませるところを、道長は5組用意した。「よりまし」は概ね10代の少女で、僧侶1人、よりまし1人、そして介添え役の女房の3人を1組とし、それを5組もうけ、彰子を取り囲ませたのである。
物の怪が乗り移るたびに、「よりまし」はトランス状態になって大声を上げたり、駆けまわったりする。その様子は『紫式部日記』にも、修験僧が中宮様に憑いている物の怪を「よりまし」に移し、調伏しようとありったけの大声で祈り立てているなどと活写されている。
お腹の子も平静ではいられないのではないか、と心配になるほどの大騒ぎのなか、彰子は36時間の陣痛を経て、無事、男児を出産した。ただし、後産が下りずに死去した定子の例がある。胎盤が出るまでは、詰めかけていた人は僧も公卿も女房もそのほかも、大声を上げて祈ったという。