一条天皇にかけたプレッシャー

その後、一条天皇に心を開けなかった中宮彰子に、まひろが「帝のお顔をしっかりご覧になって、お話し申し上げなされたらよろしいと存じます」とアドバイスするなどし、彰子の心も少しずつ開かれた様子だった。

そして、道長は「このごろ不吉なことが続き、中宮様のご懐妊もないゆえ、吉野の金峯山に参ろうと思う」と、大きな決意を口にし、実行した。奈良県吉野町にある標高1719メートルの霊山に、75日から100日にわたる精進潔斎(ある場所にこもり、酒も肉や魚も色も断って精進と祈りを続けること)ののちに参詣したのである。

途中、鎖を伝わって岩を登らなければならないほどの難所を、大勢の僧侶や人足を引き連れて登った。それを決行しなければならないほど道長は焦っていたわけだが、その甲斐があって、この年の末、彰子はついに懐妊。翌寛弘5年(1008)9月11日、願ったとおりに皇子(敦成親王)を出産した。