話者が男か女かは関係ない

性別や年齢に関係なく、誰かが誰かに意見したり、知識を披露するのはコミュニケーションとして当然のことであろう。ある程度の説明、ウンチクの披露、情報の提供に全て目くじらを立ててマンスプレイニングだと非難していたらコミュニケーションはなりたたなくなってしまうだろう。

そのようなウンチクが行き過ぎて鼻につくようになるのは問題だが、それはその人個人の態度の問題である。あるいは程度の問題である。

それが「男性であるがゆえの問題」と主語が大きくなるのは、個別の事象の過度の一般化と言えるかもしれない。

女性だってウンチクが鼻につく可能性はすでに前述のとおりである。「ウンチクが鼻につく」といえばいいのであり、話者が男か女かは関係ない。それをわざわざ「マン」の問題に拡大するのは、まさに一種の差別主義だと言えないだろうか。ここにもパワハラの根がある。

写真=iStock.com/MR1805
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