月野家のタブー

筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。

月野さんの両親は、時代的に偏見があったとはいえ、あまりにも短絡的だ。明らかに何らかの障害がある兄に対し、誰にも医療的な相談をせず、適切な検査や治療も受けさせず、“普通”を装い続けようとする。その結果、兄は苦しみ続けることになり、本来その苦しみとは無関係だったはずの月野さんやその下の妹まで“被害”が及んだ。

子どもたちの教育を母親に丸投げしていた父親は論外だが、父親や親族から「お前の育て方が悪いからだ」と責められてきた母親は、母親なりに頑張ってはいたのだろう。しかしその頑張りは本当に兄のためだっただろうか。自身の体裁を保つためではなかったか。孤軍奮闘する母親は文字通り孤立していた。毎日お茶会で親しい友達たちに会ってはいても、彼女らとは悩みや苦しみを共有できない浅い関係だった。

兄のことは月野家にとって、アンタッチャブルであり、タブーな存在だった。おそらく兄自身も含め、家族の誰もが心の奥底で「恥ずかしい」と思っていたように感じる。そしてそうさせたのは両親に他ならない。

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毒親の連鎖は止められる

結局、親に勧められるまま大学に進学し、一人暮らしをしていた兄は、20歳の時に統合失調症を発症。大学を退学して実家に戻り、それから22年間、入退院を繰り返している。

ストレスで毛髪が抜け落ち、ドス黒い顔をして痩せ細り、目だけをギョロギョロさせ、体調が良い時は少しなら会話ができるが、基本的には独り言を言っており、体調が悪い時は布団から起き上がることもできない。

「独り言をよくよく聞くと、兄は一人二役をしています。兄を徹底的に罵倒し、存在を否定する側と、それに反論する側。兄の内面の戦いなんだと思います。そんな兄を見るたびに、『なぜこんなに苦しまなければならなかったんだろう』と胸がえぐられます。離れて暮らしていても、ふと思い出すたびに涙が出ます」

月野さんが大学進学のために家を出たとき、3歳年下の妹は高校1年生。大学を辞めて実家に戻った兄の怒りや執着は全て妹に向かった。妹は何度も「兄を病院に連れて行ってほしい!」「何か変だと思う!」と訴えたが、両親は聞き入れなかった。

兄が統合失調症を発症した要因のひとつが、“両親の無知”ではないかと月野さんは言う。

「約40年前なので、子どもの障害についての情報は少なかったんだと思います。でも年々情報は増えていったはずですし、探せば見つかったはず。両親はそれをしようとしませんでした。兄の現在や未来より、自分たちの世間体やプライドを重視したのだと思います」

月野さんは夏希先生のような教師になることを目指して大学に進み、塾の講師になった。28歳で結婚し、翌年長女が、その5年後に次女が生まれた。自分が母親になり、娘たちに向き合っていると、時々強烈に襲ってくる感情があるという。

「母を許せない」

という感情だ。

「私が母だったら、片っ端から関連する本を探して読んだり、知識や情報を得るために講習会に行ったりしたと思います。相談できる機関には全て相談し、病院や療育センターに通ったりして、何を犠牲にしても少しでも子どもが快適に過ごせるように、必死に自分ができることをしたと思います。でも私から見て、母はそんなふうには見えませんでした。よく泣いてはいたけれど、毎日お茶会を開き、にこやかで穏やかに暮らしていました。親の無知は罪だと思います」

兄は42歳で「軽度知的障害と自閉症」と診断された。

「母は電話で、『やっとプライドがなく市の職員に相談できた』と私に言ったのです。『プライドって何だよ』と思いました。そんなくだらないもののために、兄はずっと健常児として扱われ、苦しめられ続けたのかと。(その影響で、私も)頑張っても頑張っても駄目だと、邪魔だと、努力が足りないと言われ続けてきたのかと……。『それでも母親かよ! 兄の人生を返せよ! 私や妹の苦しみを思い知れ!』と大声で罵ってやりたくなります。しかし今さら老いた母にそれを言って何になるのか。言葉を飲み込みます……」

月野さんの両親は進学校から大学に進み、遅れることなく卒業している。2人とも知能的には問題がないはずなのに、なぜ兄には的外れな教育を繰り返し、月野さんのことは放置の限りを尽くし、妹の訴えを聞き入れなかったのか。