依存症は「憂さ晴らし」が原因のことが多い
専門的には、
(2)「興奮を得たいがために、掛け金の額を増やして賭博」をするが、
(3)やめる努力は「繰り返し成功」しない、
(4)賭博に「心を奪われている」、
(5)気分が苦痛のときに「賭博することが多い」、
(6)「失った金を“深追いする”」、
(7)のめり込みを隠すために「嘘をつく」、
(8)人間関係や仕事を「危険にさらし、または失った」ことがある、
(9)「他人に金を出してくれるように頼む」
などの項目のうち4つ以上に当てはまると、医師はギャンブル依存症の診断を下す。
※DSM-5-TR 「ギャンブル行動症」より抜粋・引用し、筆者が編集
私の印象では、男性の依存症問題はギャンブルやアルコールの問題に限らず仕事などで思い通りにならないことが続いてきた人に多い。根っこにあるのは「憂さ晴らし」である。「憂さ」が蓄積しているからこそ、これを解消して満足を得ようとのめり込む。のめり込んでいる間は日常を忘れさせてくれる。それをするのに物質を用いるのか、行為を用いるのかの違いがあるが、いずれにせよ現実から遠ざかりたいがために耽溺する心理がある。
女性の場合は、子育ての悩みが関係していることが多い。
「意志が弱い・だらしがない」のではなく、依存症の問題を抱えるにまで至ってしまった彼ら彼女らにとっては、心を平常に保つために用いられた手段でもある。そうせねばならなかった苦しみが、そこにはある。
「何をしてもうまくいかない。これが人生」
名取さんの行動はギャンブル依存症の定義を満たすのだろうが、その行為そのものに心が奪われているというよりも、どこか心寂しい印象であった。満足を求めようとしたがための、依存症の典型には感じられなかった。
私は質問を追加した。
「もう少しお聞きしたいのですが、負けたときの気持ちはどうですか?」
典型的には、ここでは「取り戻したい」「負けを帳消しにしたい」などの言葉が聞かれるはずだ。
しかし彼には、そのような心理は見られず、代わりに次のように述べた。
「ああ、やっぱりな、という感じです。こうなるのが人生だよなって。もちろん勝ったほうがいいんですけど、取り返したくなるほどの気持ちはないんです。そういうところが、周りの依存症の方とは違うなとは感じていました。だから、自助グループはあまり合わなくて……」
「なぜ、そう思うのですか? 『こうなるのが人生だ』とおっしゃいましたが」
「ええ、どうせ何をしてもうまくいかないんです。そういう意味で、これが人生だと思います」
名取さんは、小さく言った。
ここに彼なりの整合性が隠されていた。