コップの「最後の一滴」があふれるのはどんな瞬間か

〈原因編〉

燃え尽きる理由一つ目。燃え尽きは仕事の量と関連していますが、期待しただけの成果を手に入れられない状況とも関連しています。水を並々と注いでもあふれなかったコップがあふれ出した瞬間の「最後の一滴」というのは、タダ乗りしている人や運のいい人に見える他人が、いわゆる「追い越し車線」を越えて追い越していくときです。

羨ましく思いながらもっと自分もがんばらなくちゃと思うのではなく、そんなことしたって意味がないと無気力感に襲われるのです。いいタイミングでいい業界に入り、成長曲線を描きながら順調に働いてきた人は、過労はしても燃え尽きて苦労することはまれですが、それは成果が出ているから。だからもっとがんばろうとなる。

個人の力量とは無関係に、業界の状況がよくない場合は、いくらがんばっても成果がでません。だから補償もない。もともとまじめにやっていた人なだけに周りからの期待も大きい。だからもっとがんばらなくてはならないのですが、どうしても、なぜやらなくてはいけないのかわからない、と感じてしまいます。

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いくらがんばっても他者が認めてくれない無力感

物質的な補償はお金で、精神的な補償は他者から認められること、その二つがどちらも足りなくて専業主婦が燃え尽きになる場合もめずらしくありません。

いくらがんばってもわかってくれないという思い。でも、もうこれ以上どうすればいいのかわからないという、かすかな無力感が仕事を避けようという心理になって現れるのです。公益活動家でノクセク病院産婦人科科長のユン・ジョンウォン先生のインタビューを読むと、感銘を受けたとファンは増えても、一緒にやってみるという同僚は増えない状況にあるとき、燃え尽きが訪れるのだといいます。

また、成果に満足してもらえなかった上司のせいで燃え尽きにもなります。『バーンアウトキッズ』(Michael Schulte-Markwort著、未邦訳)という本は、幼いころから成果至上主義の人生をスタートさせた子どもたちが燃え尽きに苦しんでいるという内容です。

絶対に満足させられない上司の範疇に親も入ります。褒められた子どもは、親が望む成果にさらに敏感な傾向があるそうです。完璧に合わせられる可能性がないのならば? 勉強を避けるしか方法はありません。