たった一回の演説で「5000万円分の支援金」

会議がおわるまでに百万ドル以上の金額が集められ、しかもそれらは即刻現金化できるものだった。シオニスム基金の蒐集しゅうしゅうの歴史に、前例のないことである。代表たちは取引銀行に電話をかけ、自分の属する集団からのちに集められると判断される金額を、自分名義で借金したいと申込んだ。

この奇蹟きせき的てきな午後がおわるころ、ゴルダ・メイアーはベン・グリオンに電報を打ち、二十五の「ステファン」を集められることはたしかである、と伝えた(※)

勝利のすばらしさに目をみはったアメリカ・シオニストの指導者たちは、彼女にアメリカ全土を駆けまわるよう懇願した。メイアーはローズヴェルトの元財務長官ヘンリイ・モーゲンソオと一団の財界人につきそわれ、都市から都市へと巡礼の旅に出た。悲痛な演説を彼女はくりかえし、いたるところでシカゴの場合と同じ熱狂を湧き立たせた。

彼女の行くところ、すべてのユダヤ人集団が、同じ気前のよさで呼びかけに応じたのである。毎晩テル・アヴィヴには電報で、その日に集められた「ステファン」の総額が通知された。同時に多くの通報が、ほかの宛名に向かって発せられる。

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「寒さにこごえる兵士」を訴えて7500万円

プラハのエフド・アヴリエル、アンヴェールのクシエル・フェーデルマン、そのほかユダヤ軍隊の装備購入の責務を負っているすべての人びとにたいしてである。彼らにとって、これほど励ましとなるしらせはなかった。それらは銀行に金を振込んだという通知で、彼らに新しい取引の締結を可能にするものだった。

この異例の旅行を通じて、ゴルダ・メイアーがただ一度だけ諦あきらめかけた瞬間があった。フロリダ州のパーム・ビーチでのことである。演壇のまえに集まったのは典雅な同胞であり、宝石であり毛皮である。宴会場の張り出し窓のガラスの向こうには、海が月光を浮かべて輝いている。

それを見ているうちに彼女の思いは突然、ユデアの丘のてつく夜を、いまも震えてすごしているであろうハガナの兵士たちの上に走った。彼女の両の眼から、涙があふれた。「でもここにいる人たちは、パレスチナの戦いと死とについての話は聴きたくないのだわ」と思ったのである。

彼女はまちがっていた。メイアーのことばに感動したパーム・ビーチの典雅な参会者たちは、宴席のおわるまでに、ハガナの兵士全員に外套がいとうを買ってほしいといって、百五十万ドルを提供した。