70年近く対立が続くイスラエルとパレスチナ。国を持たなかったユダヤ人は、どうやってイスラエル建国のための資金を集めたのか。ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールの著書『おおエルサレム! アラブ・イスラエル紛争の源流(上)』(村松剛訳、KADOKAWA)より、一部を紹介する――。
シナゴーグの内部、ステンドグラスの明かりとダビデの星のシルエット
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米国ユダヤ人財界の“支援疲れ”

テル・アヴィヴではユダヤ人機関の指導者たちが、同じ金銭上の憂鬱ゆううつを味わっていた。一月のある夜、彼らは財政主任エリエゼル・カプランの報告をきくために呼び集められた。カプランは資金を集めに合衆国に行き、旅行から殆ど手ぶらでもどって来たのである。

アメリカのユダヤ人集団は長いあいだシオニスム運動の、財政上の主要な支柱だった。しかしパレスチナの同胞からの絶えることのない呼びかけに、いまは疲れはじめていた。現実を直視した方がいい、とカプランは進言した。これから来る苦難の何箇月かのあいだ、合衆国からもらえる金額は五百万ドル(※)以上を期待してはならない。

※編集部註:1947年当時のレートは1ドル50円の軍用交換相場

この数字は会議の席を、短剣の一撃のように打った。全員の視線が、報告を見るからに苛立いらだたしげにきいていた蓬髪ほうはつの小男に注がれた。ダヴィド・ベン・グリオン。彼はいまいわれたことがらのもつ深刻さを、ほかのだれよりもよく測定できる立場にいた。プラハで彼の使者エフド・アヴリエルが買付けた小銃と機関銃とは、パレスチナ・アラブ人の攻撃を防ぎ止め得るであろう。

手を挙げた女性がハンド・バッグ一つで渡米

だが介入を予想されるアラブ諸国正規軍の戦車、大砲、航空機にたいして、そんなもので何ができよう。ベン・グリオンはこのような脅威に抗し得る一軍をつくりあげる計画を、すでに抱いていた。しかしこれを実行に移すには、カプランの予想する金額の最小限で五、六倍を必要とするのである。彼は宣言した。

――カプランと私自身とで即刻アメリカに行かねばならない。アメリカ人に、状況の深刻さを納得させるのだ。

かつてデンヴァーの街頭でシオニスムのために募金していた女が、このとき口をはさんだ。

――あなたがここでなさっていることは、私にはできません。(とゴルダ・メイアーはいった)でも私たちに必要なお金を集めるために合衆国に行くことなら、私にも代理がつとめられます。

ベン・グリオンの顔が、紫色になった。彼はことばの腰を折られることを好まない。問題は生死にかかわる、と彼はこたえた。カプランといっしょに出かけねばならないのは、彼である。

同僚の支持を獲たゴルダ・メイアーは、投票にかけることを提案した。二日後、手軽な春のドレスを着ただけでハンド・バッグのほか何の荷物ももたないゴルダ・メイアーが、ニューヨークに着いた。寒い夜だった。出発があまりにも慌しかったので、着がえをとりにエルサレムまで行く時間が、彼女にはなかったのである。