「オタク」を生む教育が必要な理由

第一に、日本の受験システムが筆記試験で合否を判定するため、いわゆる偏差値教育が生まれ、若者が天から授かった得意な能力を十分に発揮できなくなっている。この点について、小林りんさんの『世界に通じる「実行力」の育てかた』(日本経済新聞出版)からの例を紹介しよう。

軽井沢市に世界各国から学生を集めた国際高校(ユナイテッド・ワールド・カレッジISAKジャパン)を設立した小林さんは、高校時代、学級委員などで活躍し、文系科目は成績も十分だったにもかかわらず、「あなたの数学の成績では優秀な大学には行けません」と言われ、弱点ばかりを見る教育方針に疑念を抱いた。そこで小林さんは、高校を中退しカナダに留学、さらにユニセフなど海外での経験を経て新しい学校創立の構想を生み出したという。

不得意科目をなくして皆を平均化する教育では、われわれの持って生まれた個性を生かすことはできない。各自の得意な分野を徹底的に伸ばす、言ってみれば「オタク」を生む教育をしなければ、イノベーションは起こらず、日本は世界の競争についていけないのである。

小林さんの理念をわたくしなりに要約すると、「各人が自分自身に尊厳を持ち、その理想を実現できるような教育環境を世界の若者たちにつくろう」というものだ。

AIの時代には知識より発見

医学者で日本学術会議の元議長である黒川清氏は、ペーパーテスト偏重で記憶力ばかりが問われる日本の受験勉強が、科学者にとってもっとも重要な、「なぜか」という問いかけを若者にさせなくなっていると指摘している(黒川清「随想 常に「なぜか」を考えよ」『學士會会報』2024III所載)。

アメリカには、「ジェパディ!」という物知り競争の人気クイズ番組がある。面白い番組ではあるが、アメリカ人が余興として楽しんでいるような記憶力テストに、日本人は真剣に取り組んでいる。このような偏差値教育で、社会に役立つほかの能力のある若者までもが、よい成績が取れないと将来を悲観し、自分の能力を伸ばすことを諦めてしまう。

黒川氏も述べるように、アメリカでは大学に応募する学生はこれまでの活動や将来の抱負を詳しく書き、面接を通じて全人格を評価される。このような配慮がなければ、今持っている知識が豊富な人だけが選ばれ、自分で問題を発見し解決する能力を持つ人材は選べない。私も日本で、ある年だけ、大学ゼミ生の選抜に面接を行わず書類審査だけで済ませ、不本意な選抜となってしまったことがある。