キリストと同じように復活した主人公

「マーフィー射殺の描写は徹底的に残虐でなければならない」

ヴァーホーヴェンはその必要性をこう説明する。

「あれはキリストの磔刑たっけいを意味しているからだ。まず手首を撃つのは、キリストが手を十字架に釘打たれたことを象徴している」

ヴァーホーヴェンは、悪漢クラレンスにナチス親衛隊のヒムラーを思わせるメガネの中年男カートウッド・スミスをキャスティングし、その子分には「マンガのように凶悪な」顔の俳優たちを選んだ。ボッシュの『十字架を背負うキリスト』に描かれたような顔のギャングたちが笑いながらマーフィーを撃つのは、キリストのむち打ちなのだ。

「そして、マーフィーはキリストと同じように復活する。悪に裁きを下すために」

写真=iStock.com/Daniel Christel
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しかし、マーフィーは人間としての記憶を失っている。彼は自分が住んでいた家を訪れて衝撃を受ける。

「妻や息子の記憶が蘇るが、彼は過去を取り戻すことはできない。人間として生きることはあきらめるしかない。楽園からは追放されてしまったのだ」

そして、ロボコップは警官隊の銃撃で「もう一度死ぬ」。マーフィーとして蘇るために。

人間を超越した「復讐の天使」

満身創痍のロボコップはマスクを外してマーフィーの顔を見せる。彼が廃工場に潜んで傷を癒しながら銃の練習をする場面は、『荒野の用心棒』(64年)などマカロニウェスタンでおなじみの場面だ(ちゃんと西部劇には定番の焚き火まである)。クリント・イーストウッドなどのマカロニウェスタンのヒーローは一度、拷問されて死に近づくが、奇跡的に復活し、悪に裁きを下す。そこにはやはりキリストが象徴されている。

ロボコップは射撃の的に、自分の食料であるベビーフードの瓶を使う。「子どもという人間的な希望を捨てる決心を象徴している」とヴァーホーヴェンは言う。ロボコップを生殖器のない存在として造形するようボッティンに命じたのは、もはや人間ではない、復讐の天使として描きたかったからだ。

「クラレンスとの対決で大きな水溜りを歩いて渡るロボコップの足元をよく見てほしい」。ヴァーホーヴェンはDVDの副音声で解説する。「私は水面下ギリギリに板を置いて、その上を歩かせた。だからロボコップは水の上を歩いているんだ。キリストのように」