データに従わず、データを従える

野球は「間」のスポーツです。試合時間の長さに比べてインプレーの時間は短く、投手が1球投げるごとに間が生まれます。僕は現役時代、外野手でしたが、1球1球走者の状況や打者の様子をよく観察して、カウントごとのデータや風向きなども念頭に置きながら守備位置を変えていました。プレーとプレーの間の時間にしっかり頭を使って次のプレーを予測し、備える。ID野球を一言で表すとしたら、「考える野球」だと思っています。

プロ1年目から野村監督の薫陶を受けた真中氏は、“巧打の外野手”、“代打の神様”としてチームを牽引した(1995年4月13日ヤクルト中日戦、逆転勝ちに貢献した真中氏を労う野村氏)。
共同通信=写真
プロ1年目から野村監督の薫陶を受けた真中氏は、“巧打の外野手”、“代打の神様”としてチームを牽引した(1995年4月13日ヤクルト中日戦、逆転勝ちに貢献した真中氏を労う野村氏)。

しかし、データの活用はするけれども、それに縛られるようなことはありませんでした。打者の打球傾向とか投手の球種やウイニングショットなどのデータは頭にたたき込むのですが、実際にはその通りになることばかりではありません。相手の様子をよく見て、「データとは違うけど、こういうボールを投げてくるんじゃないか」というような直感が働いたときは、そちらを優先していました。「データよりも感性」だったのです。

野村監督もデータを絶対視していたわけではありません。例えば事前のミーティングで、何点差で勝っていて走者やアウトカウントがこういう状況なら高確率でバントしてくる、というようなデータがあったとします。それでもキャッチャーの古田敦也さんが「いや、ここは違う」と感じたら、それに合わせて守備隊形を変えていました。データやベンチの考えよりも、グラウンドで実際に戦っている選手の考えが優先されていたのです。それだけ古田さんはじめ、能力や吸収力の高い選手がそろっていたということでもあると思います。