巨星、墜つ――。2020年2月11日に逝去した野村克也氏は、生前、明智光秀に共感し、その凄みと弱みを語っていた。稀代の智将から見た、弱者、リーダーとしての光秀とは。かけがえのない言葉に耳を傾けよう。
私も光秀も貧しさと向き合った
英傑ではあったが、英雄にはなれなかった男、それが明智光秀である。

野村克也●野球評論家。1935年生まれ。54年、プロ野球の南海に入団。70年からは選手兼任監督。その後、選手としてロッテ、西武に移籍し45歳で現役引退。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任。野球評論家としても活躍。2020年2月11日、虚血性心不全により死去。
光秀の前半生は史料でうかがい知ることができず、その多くは謎に包まれている。歴史の表舞台に登場するのは、信長の家臣となる永禄11(1568)年で、光秀41歳のときだった。
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