脳を休めれば体が回復し、心も楽になる

リラックスして休息を取ることは、決して時間の無駄ではない。より良い人生を歩みたいのなら、時々無理にでも刺激のすべてを遮断して、1人だけの時間を作るべきだ。携帯電話の電源を切り、誰にも邪魔されない空間へ行き、あらゆる刺激から自分を守って脳を休める。そうやって疲れた脳が活気を取り戻し、自由な発想ができる状態を整えてやるのである。

すると、複雑に絡み合っていた思考がほどけてシンプルになり、疲れた体が回復し、心も楽になる。凝り固まった思考の足かせから解放され、いつもなら思いつかないような発想や、二の足を踏んでしまいそうなアイデアも浮かび、よりクリエイティブなものをひらめくようにもなるのだ。

一方、頻繁に海外一人旅をしている人たちが、口をそろえて言うことがある。「旅は家へ帰るためにしているのかもしれない」というものだ。知らない土地で知らない人に会い、新たな経験をするのは楽しいが、だんだん時間が経ってくると、どういうわけか家や日常、ふだん一緒にいる人たちが恋しくなってくる。出かける前はあんなにうんざりしていたのに、すべてが恋しくなってくるのだ。すると、いつもそばにいた人のありがたみが改めてわかるようになる。そして、一緒にいる時は当たり前だと思っていたことにも感謝の気持ちが湧いてくる。それゆえ旅の終盤になると家へ帰りたくなり、身近な人たちに会いたくなってくるのだ。

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大きな喪失に直面したときも同じ

そういうわけだから、疲れて誰にも会いたくない時は、心の声に耳を傾けることだ。1人で考えをまとめる時間を求めて心が信号を送っているのだから、そういう時は仕事の手を止め、家族や愛する人たちとも離れ、短くてもいいから1人で過ごす時間を作るといい。

大きな喪失に直面した時も同じだ。児童小説『小公女』で主人公のセーラは生まれてすぐに母を失い、その後、父も亡くしている。プリンセスのように気高く育ったセーラは、彼女を用なしとみなした学院長から突如として屋根裏部屋へ追いやられ、使用人にされてしまった。セーラに降りかかった試練は成人した大人でさえ耐えがたいものだが、彼女は決して尊厳を失わない。それどころか、むしろ同じ境遇にある周りの人たちに力を貸した。

幼くして両親と死別し、使用人になってもなお人生を悲観せず、希望を失わなかったセーラの原動力は何だったのだろう? それは、他でもない屋根裏部屋だった。みすぼらしい部屋ではあっても、彼女は自分だけの空間で1人独自の空想を働かせながら世界を広げることにより、現実世界の苦痛を乗り越え、悲しみを鎮めることができたのだ。