「恐怖心から親に絶対服従するしかなかった」
「ところがその直後、東京で大学生活を送っていた長女は男女問題で両親を大激怒させる“事件”を起こしてしまい、失脚。代わりに今度はまだ19歳だった聖子が7代目の養子となり、ミツカン内でも後継者として役員ポストを経験させ、後には代表取締役になっています」
一般家庭の感覚からすれば異様とも思えるこうした家族・親族のもとで育った聖子氏にしてみれば、内心では夫への愛情を守りたいと思ってはいても、やはり恐怖心から親に絶対服従するしかなかったのだろう、と大輔氏も振り返る。
「ロンドンでの別居は、僕ら夫婦にとっては見せかけで、実際には密かに会ったり秘密のブログでお互いを励ましあったりしていました。そのやりとりは後に裁判でも証拠として出しています。けれどその後、和英会長が最初に恫喝した通り、僕に日本の物流センターへの配転命令が出ます。
やむなくいったんは命令に従い単身で日本に赴任しましたが、さすがに僕も唯々諾々と従うのもおかしいと思い、業務上の必要がまったくない不当な配転だと日本の裁判所に仮処分申請を申し立てました。そして3カ月後、申し立ては認められ、配転命令は無効であるという趣旨の仮処分が裁判所によって決定したのです」
「秘密のブログ」で夫婦の交流は続いていた
にもかかわらず、ミツカンは配転を取り消すどころか何らの対応もしないまま約1年、仕事も与えず自宅待機をさせたまま。さらに追い打ちをかけるように、聖子氏の名前で離婚調停を申し立てられる。これは不成立に終わるが、さらに離婚を求める訴訟を起こされる。訴訟の名義は聖子氏だが、その間、聖子氏はロンドン居住のまま、前述した夫婦だけの秘密のブログで語り合っていたという。
そのブログで、離婚訴訟の代理人弁護士がミツカンの顧問弁護士であり、驚くべきことに聖子氏は自身の代理人であるその弁護士の名前も知らず相談すらしたこともなかったことが明かされたという。
「それでも彼女は僕に対し、秘密のブログで夫婦の交流が続いていたことや誰にも内緒で密かに会っていたことも、何があっても口が裂けても一切口外せず両親に隠し続けることを懇願しました。僕は心底悩みましたが、両親に対する怯え方があまりにも尋常ではなかったし、その恐怖心に押しつぶされそうになっている彼女を傍でみていて、やはりその約束を固く守り続けるしかないと覚悟を決めるしかありませんでした」
結果、離婚請求は最高裁で確定。その直後、一連の経緯についてメディアからの取材に応じたことが会社に不利益をもたらしたとしてミツカンからも解雇され、完全に放逐されてしまう。