麻酔なしで53針縫った渋谷の暴力団のボス
町井親分(町井久之)も例外ではない。一九六三年、町井が大阪の暴力団と手を結んだばかりのころ、子分の一人が相手の暴力団の顧問格である重要人物を、カッとなったはずみに拳銃で撃ってしまった。
その直後、東声会の町井親分は、落とし前をつけるために、みずから小指の先を切断した。銀の果物ナイフを使って、“儀式”は厳かにおこなわれた。関節部分にうまく刃を食い込ませ、ざっくりと切り落とす必要がある。身の毛のよだつような肉片をホルマリン漬けにして、相手のボスの家に届けなければならないからだ。
こんな壮絶なことができる人間は、ザペッティの故郷プレザント・アヴェニューに、そうざらにはいない。
ヤクザの武勇伝は数知れない。渋谷の暴力団のボスは、路上の喧嘩で耳から顎にかけて、バッサリと切られたときに、麻酔なしで五十三針縫ったという。
日本刀を振りかざした男と、“丸腰”で対決したケースもある。その“偉業”を達成したのは、金子という東声会組員で、今は左手首から先がない。ヤクザの世界では、これこそがもっとも勇気ある行動とみなされる。
巨漢のアメリカ人すら震えて逃げ出すほどだった
元ヤクザが本音を語った。
「日本刀がキラリと光った瞬間に、ああ、俺はあれでバッサリ斬られる、と実感するわけよ。最悪の気分さ。ハジキなら、一巻の終わり。コロッとあの世へいける。しかし、日本刀はそうはいくもんか。血がドクドク流れ続けて……」
〈ニコラス〉のガイジン店主は、レストランにやってきた西洋人と、店の常連のヤクザとの喧嘩に、何度巻き込まれたことだろう。
東声会の組員たちは、日本人にさんざん差別されてきた韓国人だから、「純血ヤクザ」にけっして好感をもっていない。しかし、「アメ公」(アメリカ人をさす軽蔑的な俗語)に対する強烈な反感という意味で、両者は意気投合していた。彼らの目から見ると、占領が終わってすでに二十五年たつにもかかわらず、アメリカ人はいまだに東京の街をわが物顔で闊歩していた。
〈ニコラス〉の客に、デイヴという元GIの巨漢がいた。声が大きく、いつも自慢たらたらのめかし屋で、筋肉をひけらかし、乱暴なしゃべり方をする。
ある日の午後、バーのスツールに腰掛けていたデイヴは、東声会中堅幹部、松原に拳銃をつきつけられ、外に待たせてある車に連れ込まれた。その後いったい何が起こったのかは、誰も正確には知らない。デイヴは真っ青な顔をしてガタガタ震えながら、コートを取りに戻ってきた。そして二度と六本木界隈に現れることはなかった。