ヤクザは問題解決のために指を切断することがある。その「落とした指」はどうなるのか。2000人以上の暴力団員に取材したジャーナリストの鈴木智彦さんは「あるヤクザは『指なんかもらっても、本当はどうしようもないんだよ』とこぼしていた。ほとんどは適当にゴミとして処理されるが、中には保存しているヤクザもいる」という――。

※本稿は、鈴木智彦『ヤクザ2000人に会いました!』(宝島社)の一部を再編集したものです。

薄暗い建物の窓辺に立っている男性のシルエット
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“指詰め”の前に行われていた「恐喝としての切腹」

清水次郎長の下腹部には、12本の傷があったといわれる。当時のヤクザは、談判の際、腹に日本刀をあてがい、恫喝どうかつの意として自らの腹を切る行為=屠腹とふく(切腹)をしたためだ。武家社会における切腹を恐喝に転用したもので、明治16年の「博徒ばくと一斉狩り込み」の際に恐喝罪が適用されるまで、この風習は続いていた。

もちろん、本当に腹をかっさばいては死んでしまうから、内臓に達しないように気をつけながら、皮膚と脂肪を切り裂く。その後はサラシで腹部を覆い、焼酎を吹きかけて傷口を密着させたという。ヤクザの間に断指だんしの習慣が生まれたのは、屠腹の風習が消滅した以降だといわれる。

事実、それまでのヤクザが「指を詰めてお詫びした」という話は、どんな文献にも見当たらない。代用の行為として生まれたのか、まったく新しいしきたりだったのかは定かでないが、自分の肉体を傷つけることで問題を解決するという単純さは同じだ。ようは時代の流れに即し、自傷行為を簡略化させたということだろう。

もともと断指は、起請文きしょうもん(証書)代わりに、花柳界の女性の間で行われていた習慣だ。屠腹の真似事が禁止されてから、ヤクザはこの断指に目をつけ、けじめのつけ方として転用したのかもしれない。