「ヤバいことをしたら指くらいじゃ済まない」
とはいえ現代でも、相手に指のないことを誇示してヤクザであることをアピールしたり、また、「お前が承諾しなければ俺は指を詰めることになる。どうやって責任を取るつもりだ」という、アホらしい恐喝を平気でするヤクザを見かける。ほとんどの場合、そういったパフォーマンスを行うのは、カタギにだけ強いチンピラや、似非ヤクザと考えていいだろう。
もともとは女性の習慣だし、そもそも指を詰めるくらいのことは、カタギにだってできる。これくらいで得意になられてはたまらない。会社員だって不祥事を隠蔽するために自殺することがあるではないか。命で清算しなくてはならないほどの不始末を指一本で済ますことができれば、これほど気楽な話はない。
実際、断指をヤクザ社会の持つ寛容さの表れだととらえる現役の幹部もいる。
「指詰めも、一度失敗したら終わりということじゃなく、親からもらったからだを傷つけたのだから、すべてを水に流そうという温情だ。ある程度の失敗なら、相手が指を詰めたと聞けば、何もいえなくなる。堅気ならゲームオーバーだけど、それでもう一度やり直せる」(在京の広域組織幹部)
もちろん、この温情措置が適用されるのは、比較的軽い部類の問題に限る。
「今も昔も、もっとも多いのは、金絡みの問題だろう。親分の金を使い込んでしまったり、仕事で大きな穴をあけ、組織に損失を出してしまったとき。自分ではどうにも穴埋めができなくて、指をちぎる。そんなヤツが多いよ。本当にヤバいことをしでかしたら、当事者の指くらいじゃ、済みっこない」(同)
「金だけ取れればいい」が本音だが…
最高の“指”は、他人の失敗のために落とす指である。問題解決につながらず無駄になった指を“死に指”という。とはいえ、落とした指は、それが誰のものだったのかが重要で、チンピラの指と親分の指とでは、解決できる問題に雲泥の差が出てくる。
指詰めは軽い問題を処理するものとはいえ、大親分の指なら大きな問題の解決につながることもある。たとえば、抗争の仲人(仲裁人)が不始末を詫びるようなときや、命のかかった問題を解決するようなときだ。そんなときは、それ相応の人間の指が必要になる。
もっとも、なかにはこのような意見もある。
「指なんかもらっても、本当はどうしようもないんだよ。使い道なんて、まるでないからな。揉め事で相手が詫びを入れてきたとき、金だけ取りゃ、あとはどうでもいいというのが本音じゃないか。だが、許すほうとしても、それじゃあメンツってもんが立たない。相手の指があれば『本当なら許しちゃおけないが、指を持ってきたことだし、勘弁してやるか』と、大義名分が立つから、拳を下すことができる。
堅気さんから見りゃ、ばかばかしいかもしれんが、そういった目に見える形が大事なんだ。あと、ヤクザにはやっぱりいい加減なヤツが多いからね。黙って許しちゃ、まったく反省しない人間が多い。痛みを感じれば、それだけ同じ失敗をくり返さないという意識も生まれるだろ。かなり野蛮だが、教育的指導でもあるわけだ」(独立組織二次団体組長)