言語が体験を間接的に後押しする

ところが、さらに上を目指して壁を突き抜けるかどうかの段階になると、その方法は簡単に言語化できるものではありません。

けれど本人が直接的に体験して「あ、こうだよね」とコツのようなものを一度つかむと、「じゃあこれはこう、これはこうだ」と連鎖的に次々とわかって、どんどんレベルアップしていく。

達磨大師の言った「さとりが後からついてくる」とは、こういうことではないでしょうか。その閾値を超える方法を言語化することはできないけれども、少しでもそれに近づくために、言語を使いながら人の心を揺り動かすことが大切なのです。

松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)

これを認識しているのといないのとでは、課題への向き合い方が大きく違ってくると思います。

ですから、もし目の前の仕事や作業で「意味がないんじゃないか」と感じることがあっても安易にブルシットだと決めつけずに、今お伝えしたことを意識して取り組むことは、選択肢の一つにじゅうぶんなり得ます。

かといって心身の健康を無視することのないよう、ましてやブルシット・ジョブを作り出す側にならないように、一人一人がよく考えてバランスを取りながら行動する。そのような姿勢で生きていけば、人類はもっとポテンシャルを発揮できるのではないでしょうか。

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