※本稿は、松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
ブルシット・ジョブを「作り出す側」と「させられる側」
ただただオフィスに籠って、ひたすらレポートを作成する。もしかしたら読者のみなさんも経験があるかもしれません。
そのような作業をする中で、自分の仕事は果たして本当に社会の役に立っているのか、そういったモヤモヤを抱える人たちが現代社会では増えているように思われます。
こういった仕事は「ブルシット・ジョブ」と呼ばれ、日本語では「クソどうでもいい仕事」と、あまり美しくない言葉で訳されます。
このブルシット・ジョブを考えるには、まず「作り出す側」と「させられる側」の二つに分ける必要があります。
まず「作り出す側」には、ストレートに「そんなものを作ってはいけない」とお伝えます。自分が場をコントロールする立場にありながら、意味のないタスクを作って貴重リソースを消費するのは、どう考えても愚かなことです。
とはいえ、うっかりやってしまうこと、気づかずに作り出してしまうことは誰にでもあるでしょう。そのときには素早く気づいて、「ごめんなさい」と言えることが大切です。
さらに言えばそれを避けるために、一人一人が「さとる」といっては大げさですが、賢くなるように努力しようというのが、仏教のスタンスです。
近年、仏教から派生した「マインドフルネス」という言葉がよく取り沙汰されていますが、マインドフルネスというのは、単に気持ちが落ち着くなどという意味ではなく、自分自身の思考や行為一つ一つに責任を持つことなのだと思います。
問題は、ブルシット・ジョブを「させられる側」です。たしかに自分の置かれた立場から見る限りは、その仕事はブルシットかもしれません。しかし自分が見えている領域が、果たしてすべてなのでしょうか。
一つ上の「メタ認知」的な視点から見た場合、もしかするとその仕事が必要で、何かしらの役割を果たしているのだと思えるケースもあるかもしれません。
上から下りてきた仕事には自分の判断が及びませんから、全体として必然性があると信じてやってみるのも、一つの選択肢だと考えます。