仏教がいう善悪とは

ところで、仏教で善悪を分けるポイントは「苦しみが発生するかどうか」ですから、善悪の審判を下す人格神は想定されていません。しかも「これが善だ」という絶対的な基準もありません。

すべてのものごとは相対性の中で存在するので、「この条件下ではこれが善と認識されるけれども、条件が変われば悪に変わり得る」と考えます。

正解があって、誰かがそれを与えてくれるわけではない。だからこそ、先ほどお話しした一人一人の真の賢さ、叡智が必要なのです。

仏教は、物質的なものごとや社会制度などよりも先に、その主体である一人一人の「心のあり方」を賢くしなさいと説きます。

そして、すべてはつながり合っているという世界観に基づき、目の前のことにとらわれず、局所も全体も等しく大切にしようという考え方をするのです。

松波龍源『ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考』(イースト・プレス)

ここまでの話で、仏教がポスト資本主義社会を考える鍵になりそうなことが、なんとなくイメージしていただけたでしょうか。

現生人類である私たちホモ・サピエンスは、原始人類のネアンデルタール人よりも個体の能力は劣っていたといわれます。

それでも進化の過程でホモ・サピエンスが生き残ったのは、「われわれ」の認識範囲がネアンデルタール人よりも大きく、他者と協力したからだと聞いたことがあります。

社会が少ししんどい状況にある今こそ、私たちはそれを思い出すべきなのかもしれません。

※チベット仏教の教義上において、衆生を教え導くために、如来、菩薩、過去の偉大な仏道修行者の化身としてこの世に姿を現したとされるラマ(師僧)を指す。

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