念仏会は今でいうカラオケや合コン

信仰の集まりである念仏会での女性の行動はいかにも不謹慎極まりない。しかし、かつて若者は念仏会などの法要を今でいうカラオケや合コンのような感覚で楽しみにしていたようである。だから、信仰はそっちのけで出会いを求めたのである。

また、浄土宗には五重相伝という特有の法会がある。7日間、寺に泊まり込んで浄土宗の秘法を授かるもので、今も浄土宗の寺院では行われている。この法会に参加すると「誉号」という格式の高い戒名を授かることができる。

しかし、若者はこの法会も男女の出会いの場と考えていた。まして泊まり込みで、基本的には男女が雑魚寝するのであるから、勢い交わりを行うものも出てくる。

僧侶などを除いた多くの日本人は、仏教をはじめとする宗教を教えや学問としてとらえることはなく、法要なども儀礼として臨んだ。だから、念仏会も五重相伝も祭礼と同じで、日常とは異なるハレの日で、それは普段の倫理観にとらわれない無礼講の日だったのである。

江戸時代の空前の「寺社巡り」ブーム

江戸時代、幕府は社会の安寧秩序を保つために綱紀粛正に努めた。その結果、出雲阿国がはじめた女歌舞伎が取り締まりの対象となり、山東京伝などの黄表紙作者(戯作者)も手鎖の刑などに処せられた。そして、念仏会や五重相伝も風紀を乱すものとして厳しく取り締まったのである。

また、江戸時代には「お伊勢参り」が空前のブームとなり、若い女性が着の身着のままで路銀も持たずに伊勢を目指したという。このころには各宿場に彼女たちを受け入れる旅籠があり、そこにはまた彼女たちを目当てとする若い男性が集まった。女性たちは男性の相手をする見返りに、路銀をもらったり御馳走をしてもらったりして伊勢までたどり着くことができたという。

江戸時代は伊勢参宮をはじめ寺社巡りが空前のブームとなった。この時代、幕府はさまざまな形で統制を強めたが、寺社巡りに関しては寛容な態度を取った。というのは有力な寺社には多くの参詣者が集まり、その参詣者を目当てに旅籠や飲食店、土産物屋などが軒を並べた。

寺社を中心に参詣者たちが落とす金は莫大ばくだいなものとなり、その地方の藩が潤い、ひいては幕府もその恩恵に与ることができたからである。

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