35年続いた「読む会」、そして新たな会も

数年前から「読書」に追い越されるということを口にしてきました。追い越されるものは「本屋」です。淡雪の中で沫雪が存在感を増していったのです。

物語のある本屋というのは読者と本屋の出会いのことです。出会うことによって定有堂では「読む会」をはじめたくさんのサークルが生成しました。最初の「心理学講座」の講師であった鳥取大学の先生は「町の寺子屋」だね、といい、サークル全体を「定有堂教室」と名付けました。「読む会」が一番長く35年続いています。

最近は「ドゥルーズを読む会」、そして関西で「読書室」という「読書」の可能性を追求している三砂慶明さんに啓発されて、便乗した形で「読書室ビオトープ」という小説を中心に読んでいく会も立ち上げています。はじめて外部の影響を明らかにしたサークルです。先日の会では課題本をレポートする人の話を聞いて「小説って、こんな風に読むんだ」と心身が震える体験をしました。

そして、出版物小冊子『音信不通』があります。月一回の刊行で83回です。約7年です。副題に「本のビオトープ」とつけています。

「本屋」が消え、「本が好きな人」が残る

本屋の中に入れ子構造的にあったサークル、そしてミニコミ誌というのは一体何だったんだろうと思います。淡雪と沫雪にたとえられるような光景だったのかなと思います。

淡雪は消え、沫雪は残りました。雪ですから、いつかは消えるのかもしれません。しかし「記憶」からは消えません。消えないように今日県立図書館さんが「記憶」の整理整頓を行う機会を与えてくださっているのだと思います。

閉店後もサークルそして『音信不通』は継続しています。何一つ変わりません。『音信不通』の副題もそのまま「本のビオトープ」ですが、もう一つ付け加わりました。それは、「学びあう人々のために」です。

奈良敏行『町の本屋という物語 定有堂書店の43年』(作品社)

最後に残った「沫雪」また「結晶」が、この「学びあう人々のために」かと思います。「本のビオトープ」と「学びあう人々のために」という言葉に未来へ手渡す「記憶」があるとすれば、それは「読書と思索」ということかと思います。

忘れられない記憶の一つなのですが、定有堂が開店する直前、ある新聞社の方が見出しに「本が好きな人が本屋を始める」と書いてくださいました。この一言は大きな舵取りでした。この一言が地域の人たちとのご縁を開いてくれました。

いま本屋が閉じました。43年前に時計のネジが巻き戻されるような気がします。「本屋」が消え、残ったのは「本が好きな人」です。でも巻き戻されたネジが今度は「読書と思索」という結晶へ向かって解き放たれて行くのに、ある種解放感を感じています。

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